主役として五犬士の活躍するは、大塚を本舞台として巣鴨《すがも》・池袋《いけぶくろ》・滝《たき》の川《がわ》・王子《おうじ》・本郷に跨《また》がる半円帯で、我々郊外生活者の遊歩区域が即ち『八犬伝』の名所旧蹟である。一体大塚城というのはドコにあったろう? そんな問題を出すのがそもそも野暮のドン詰りであるが、もともと城主の大石というのが定正の裨将《ひしょう》であるから、城と称するが実は陣屋《じんや》であろう。いわゆる「飯盛《めしもり》も陣屋ぐらいは傾ける」程度の飯盛相当の城であろう。ところで、城にしろ陣屋にしろどの辺であるか見当が附かぬが、信乃が幼時を過ごした大塚は、信乃の家の飼犬が噛み殺した伯母の亀篠《かめざさ》の秘蔵猫に因《ちな》んで橋名を附けられたと作者が考証する簸川《ひかわ》の猫股橋《ねこまたばし》というのが近所であるから、それから推して氷川|田圃《たんぼ》に近い、今の地理的考証から推して氷川田圃に近き今の高等師範の近辺であろう。荘助の額蔵が処刑されようとした庚申塚《こうしんづか》の刑場も近く、信乃の母が滝の川の岩屋へ日参したという事蹟から考えても高等師範近所と判断するが当っているだろう。
 ところで信乃がいよいよ明日は滸我《こが》へ旅立つという前晩、川狩へ行って蟇六《ひきろく》の詭計に陥《は》められて危《あぶ》なく川底へ沈められようとし、左母二郎《さもじろう》に宝刀を摩替《すりか》えられようとした神宮川《かにはがわ》というは古名であるか、それとも別に依拠《よりどころ》のある仮作名であるか、一体ドコを指すのであろう。信乃が滝の川の弁天へ参詣した帰路に偶然|邂逅《であ》ったように趣向したというのだから、滝の川近くでなければならないので、多分荒川の小台《おだい》の渡し近辺であろう。仮にそう定めて置いて、大塚から点燈《ひともし》頃にテクテク荒川くんだりまで出掛け、水の中で命のやりとりの大芝居をして帰ったのが亥《い》の刻過ぎたというから十時である。往返《ゆきかえり》をマラソンでヘビーを掛け、水中の実演を余程高速度で埒《らち》を明けなければとても十時には帰って来られない。が、荒川より近くには神宮川のような大きな川はない。
 道節が火定《かじょう》に入った円塚山《まるづかやま》というは名称の類似から本郷の丸山だろうともいうし、大学の構内の御殿の辺だろうという臆説もある。ドッチ
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