が大嫌いで、先生はわざわざ自身で考案して橋口に作らせたことがある。ところがその出来上ったインキスタンドは実に嫌な格好の物で、夏目さん自身も嫌で仕様がないとこぼしておられたことを記憶している。
左様、原稿紙も支那風のもので……。特に夏目漱石さんの嫌いなものはブリウブラクのインキだった。万年筆は絶えず愛用せられたが、インキは何時もセピアのドローイングインキだったから、万年筆がよくいたんだ。私が一度、いい万年筆を選んで、自分で使い慣らしてからインキを一瓶つけて持たせてやったことがあるが、そのインキがブリウブラクだったから気に入らなかったそうである。夏目漱石さんはあらゆる方面の感覚にデリケートだったのは事実だろうが、別《わ》けても色に対する感覚は特にそうだったと思う。「ブリウブラックを使えば帳面を附けているような気がする」と好く言われた。
その割に原稿は極めてきたなかった。句読の切り方などは目茶だった。尤も晩年のことは知らない。そのくせ書にかけては恐らく我が文壇の人では第一の達人だったろう。
修善寺時代以後の夏目さんは余り往訪外出はされなかったようである。その当時、私の家に来られたことがあるが、「一カ月ぶりで他家を訪ねた」と言われた。その頃は多分痔を療治していられたかと想う。生れて初めて外科の手術を受けたとのことで、「実に聊《いささ》かな手術なのに……」と苦笑して、その手術の時のことを話された。
軽い手術だから医者は局部注射の必要もないと言ったが、夏目さんは強いてコカエン注射をしてもらった上に、いざ手術に取りかかると実に痛がる様子を見せたので、看護婦どもが笑ったそうである。そんなことを話してから夏目さんは「近頃、主人公の威厳を損じた……」と言って笑われた。
前にも言った通り、私は夏目さんの近年の長篇を殆んど読んでいないといって宜《よろ》しい。よし新聞や何かで断片的には読んでいるとしても、私はやはり初期の作が好きだ。特に短篇に好きなものがある。「文鳥」のようなものが佳いと思う。「猫」、「坊ちやん」、「草枕」、「ロンドン塔」、「カーライル博物館」、こんなものが好きだ。
要するに夏目さんは、感覚の鋭敏な人、駄洒落を決して言わぬ人、談話趣味の高級な人、そして上品なウイットの人なのである。我が文壇にはこの方面で独自の人であった。夏目さんには大勢の門下生もあることだが、しかし皆夏目さんの後を継ぐことはできない傾向の人ばかりのように思う。ただ一人|此処《ここ》に挙ぐれば、現在は中央文壇から遠ざかっているけれども、大谷|繞石《じょうせき》君がいるだけである。この人は夏目さんの最も好い後継者ではあるまいか。
そしても一つ付加えれば、夏目さんは、殆んどといっても好い位い西洋の新らしい作を読んでいないと思う。
それは三、四年前に、マローの『ファウスト』とかスペンサーの或る作とかを頻《しき》りに耽読していられた事から見ても解るであろう。
底本:「日本の名随筆 別巻75・紳士」作品社
1997(平成9)年5月25日初版発行
底本の親本:「内田魯庵全集 第四巻」ゆまに書房
1985(昭和60)年11月
入力:葵
校正:小林徹
2001年4月6日公開
2003年5月25日修正
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