どを人に見せる人ではなかった。それに話が非常に上手で、というのは自分も話し客にも談ぜさせることに実に妙を得た人だった。元来私は談話中に駄洒落《だじゃれ》を混ぜるのが大嫌いである。私は夏目さんに何十回談話を交換したか知らんが、ただの一度も駄洒落を聞いたことがない。それで夏目さんと話す位い気持の好いことはなかった。夏目さんは大抵一時間の談話中には二回か三回、実に好い上品なユーモアを混える人で、それも全く無意識に迸《ほとばし》り出るといったような所があった。
また夏目さんは他人に頼まれたことを好く快諾する人だったと思う。随分いや[#「いや」に傍点]な頼まれごとでも快く承諾されたのは一再でない。或る時などは、私は万年筆のことを書いて下さいと頼んだ。若い元気の好い文学者へでも、こんな事を頼もうものなら、それこそムキになって怒られようが、先生は別に嫌な顔などはせられなかった。ただ「僕は困る」と言われた。と、私は、「いえ、悪くさえいわねば好いから……調法なものだ位いに書いて下さい」と頼んだ。そんな風で、いわばこちらで書き上げた物にただ署名してもらう位いにしても快諾されたことがある。
私は夏目さんとは十年以上の交際を続けたが、余り頻繁に往復しなかったせいでもあろうけれども、ただの一度も嫌な思いをさせられたことがない。なるほど、時としてはつむじ[#「つむじ」に傍点]曲りだと世間に言われるような事もあったか知れない。千駄木にいられた頃だったか、西園寺さんの文士会に出席を断って、面白い発句を作られたことがある……その句は忘れたが、何でもほととぎすの声は聞けども用を足している身は出られないというような意味のことだった。
*
夏目さんは門下生には大変好かった。また家庭も至極円満のように思う。近頃新聞など色々のことを書くそうだが、そんなことは何かの感違いだと私は思う。尤《もっと》も病身のために時には気むずかしくなられたのは事実だろう。子供のことには好く心を懸けられる性質で、日曜日には子供がめいめいの友達を伴《つ》れ込んで来るので、まるで日曜幼稚園のようだと笑っていられた。
作から見れば夏目さんはさぞかし西洋趣味の人だったろうと想像する人もあるようだが、私の観たところでは全く支那趣味の人だった。夏目さんの座右の物は殆んど凡《すべ》て支那趣味であった。
硝子のインキスタンド
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