し。しかれども小生はただこの一事あるがゆえに、世の多くの論者のごとく、婦人をもって政治上もしくは社会上における諸種の任務にたえずとなし、または高尚深遠の学芸に適せずとなすの理由を発見することあたわず。いかにも妊娠、分娩、育児のことは婦人の大任務にして、生殖事業の八、九分までは婦人の分担に属したる訳なれば、他の諸事業の八、九分まではこれを男子の任務とするの道理に似たり。しかれども文明社会における人生の事業は、生殖事業と他の諸事業との二種にわかつべきものにあらず。小生の考うるところによれば、生殖事業と生活事業と、および他の高尚なる諸事業との三種にわかつべきものなりと信ず。されば婦人がその生理上の自然として生殖事業の八、九分を分担するに対し、男子はよろしく生活事業(すなわち直接衣食住の事業)の八、九分を分担すべし。しかして二者以外、他の高尚なる諸事業は、男女の別なくおのおのその適するところに従ってその任務に服すべし。たとえば、男子は米を作り、女子は子を産み、しかして男女共にその余暇余力をもって文学、美術、音楽、宗教、哲学、科学等のことを学ぶべしというなり。論者はなおあるいはいわん、仮になんじの言をよしとするも、女子は子を産み子を育つるにおいて、おそらくは多くの余力なからんと。今日においてあるいはしからん。しかれども今日の女子が子を産み子を育つるにおいて余力なきは、あだかも今日の農夫が米を作るにおいて余力なきに同じ。もし将来の進歩せる社会において、農業が精巧なる器械の応用と多数人の組合とによって、それに従事する労働者に多くの余暇余力を存せしめうべきを信ずるならば、生殖事業もまた周到なる設備と多数人の助力とによって、それに従事する婦人に多くの余暇余力を存せしめうべきを信ぜざるべからず。試みに想像せよ。ここに一婦人あり、その生殖事業に従うのゆえをもって、しばらく他のいっさいの任務を免除せられ、またそのすでにやや成長せる子供の世話を免除せられ、常にその友人たる多くの男女の助力を受け、ことにその分娩の際には、十分なる設備と十分なる看護とを与えられ、分娩後にも哺乳《ほにゅう》の任務の外は多くの助力を受け、しかして必要なる哺乳時期を過ぐれば、幼児の世話もたいていは多くの人々の手に分担せらるることとならば、この婦人よし五、六人の子供ありたりとて、決して他の高尚なる事業に従うの余暇余力なき
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