えてなくなるべきものなり。さればかようなることを天職などと称して、しいて婦人を縛りつけんと欲するは、実に不都合窮まる男子の得手勝手と言わざるべからず。
二
ある人はまた、婦人の天職は家を守るにありと言えり。これはあたかも犬の天職は門を守るにありというに同じ。犬はもと山野にありて自由独立の生活を送りしものなり。その時には守るべき門というものもなかりしなり。後ようやく人間に圧伏せられて、家畜という境涯に落ちたればこそ、ここに初めて門を守るという役目を仰せ付けられたる次第なれ。いずくんぞこれをもって犬の天職と言うべけんや。婦人が家を守るもまたかくのごとし。男子に圧伏せられてその奴隷《どれい》たるがごとき境涯に落ちたればこそ、ついにかかる迷惑の役目をも背負わされたるなれ。天職などとは実によいつらの皮と言うべし。
ある人はまた、婦人の天職は炊事、裁縫にありと言えり。これはほぼ前項と同様の説にして、また実に人をばかにしたる話と言うべし。昔封建時代の武士は、米を作るは百姓の天職なりと言いたりき。いかにも田を耕し、苗を植え、肥やしをくみ、稲をこくがごとき労苦のことは、これを百姓の天職なりとして彼らの手に打ち任せ、自分らは大小をさし、かみしもをつけぶらぶらとしてその米をとり食らうこと、武士にとりてはすこぶる好都合なりしなるべし。それと同じく、炊事、裁縫、洗たく、そうじなど、すべて日常生活のめんどうなることは、いっさいこれを婦人の天職なりとして彼らの手に打ち任せ、自分は出入自在にして、勝手次第にほうつきあるくこと、男子にとりてはすこぶる好都合のことなるべし。しかるにあるお人よしの婦人のいわくに、料理などはドウしても最愛の妻の親切なる手に成りたるものならでは、十分に男子を満足せしむることあたわざるべし。ゆえにわたしらはどこまでも料理等の事をもって婦人の天職と思うなりと。これいかにも殊勝千万のお心掛けと申すべし。小生なども男子の片はしであるからには、かようなる殊勝の婦人に対し無限の感謝をこそ呈すべけれ、悪口雑言などユメ申すべきはずにはあらねど、さりとてはここに不思議なることこそあれ。そはかようなる殊勝の心掛けが婦人の側にのみありて男子の側に無きの一事なり。小生の考うるところにては、料理などはドウしても最愛の夫の親切なる手になりたるものならでは、十分に婦人を満足せしむることあ
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