京してあとの運動を収拾しようとした。しかし形勢は大いに変化していた。同年七月、西園寺(さいおんじ)内閣が倒れて桂内閣がそれに代わった。西園寺内閣の倒れた原因の一つは、社会主義を寛容し過ぎて、ついに赤旗事件まで起こさせたという非難であったという。したがって桂新内閣の反動ぶりは盛んなものであった。そこで一方には赤旗事件で金曜会の連中が一掃され、一方にはまた、電車問題の凶徒|聚《しゅう》衆事件が確定して、西川、山口等、多くの同志が投獄され、その他の人々は手も足も出しようがなく、運動は全く頓挫《とんざ》の姿を呈した。幸徳君はこの形成の下にあって、ますますその無政府主義的態度を鮮明にし、ますます極端に走って行った。そして明治四三年九月、わたしが出獄した時にはすでにいわゆる大逆事件が起こっていた。
[#地付き](昭和二年六月太陽臨時号所載)



底本:「堺利彦全集 第三巻」法律文化社
   1970(昭和45)年9月30日発行
入力:もりみつじゅんじ
校正:染川隆俊
2002年10月7日作成
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