私の手に残っているが、その筆跡もなかなか達者だし、文句もずいぶんシッカリしている。また、祖母の妹(私の父の叔母《おば》、私の大叔母)は、私もよく知っていたが、これがなかなかただの女でなかった。変屈者《へんくつもの》、やかまし屋として、あちこちで邪魔にされた場合もあったようだが、私から見ると、ずいぶん面白いところのある、よいおばさんであった。この人が大阪から私の父によこした手紙が残っているが、「黄粉が食いとうても臼がのうてひけぬ、今度来るなら臼を持って来ておくれ、うんちんはおれが出す」と言った調子である。明治二十二年に、八十に近いお婆さんが、大胆な言文一致体で手紙を書いていたのである。これらのことも、私に取っては確かに多少の誇りであった。
底本:「日本の名随筆42 母」作品社
1986(昭和61)年4月25日第1刷発行
1988(昭和63)年1月20日第5刷発行
底本の親本:「堺利彦伝」中公文庫、中央公論社
1978(昭和53)年4月
入力:もりみつじゅんじ
校正:菅野朋子
2000年6月1日公開
2005年6月24日修正
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