れも案外うまくこしらえてある。昼が一番御馳走で毎日変っている。まず日曜が豆腐汁、それから油揚と菜、大根の切干、そら豆、うずら豆、馬肉、豚肉など大がい献立がきまっている。豚肉などといえば結構に聞ゆれど、実のところは菜か切干かの上に小さな肉の切が三つばかり乗っているまでのことだ。それでも豚だ豚だとみなが大喜びをする。昼の菜の中で予輩の一番閉口したのは、輪切大根と菜葉とのときで「ヤァ今日は輪大か」と嘆息するのが常であった。飲むものはヌルイ湯ばかり。
 聞くところによれば、この三度の菜の代が、今年の初めまでは平均一銭七厘であったが、戦争の開始以後は五厘を減じて一銭二厘となったとのこと。戦争はヒドイところにまで影響するものだ。

   七 特別待遇

 六監にいること十日ばかりの後、予は十一監に移された。この十一監は十個の本監のほかにある別監で、古風な木造の、チョット京都の三十三間堂を思い出させるような建物である。監房は片側に十個あるだけで、前は廊下を隔てて無双窓になっている。房内は十二畳ばかりで、前後は荒い格子になって、芝居の牢屋の面影がある。後の方の格子には障子が立てられて、その障子の内にタタキの流し元と便所とが並んでいる。便所のところには板でこしらえた小さい屏風のようなものが立ててある。すべてここは広々として、気が晴れて、窓や障子を開けたときには空も見える。木も見える、雀の飛ぶのも見える、猫の来るのも見える。煉瓦と石と鉄とでかこうた本監にくらべると、居心地のよいことは何倍か知れぬ。
 うけたまわるに、この十一監は特別待遇の場所で、軽禁錮の者、重禁錮中の教育ある者(社会にて身分ありし者)、老衰の者などを集めてある。ほかに、モウ本刑を務めあげて、附加刑の罰金を軽禁錮に換えられた、いわぬる換刑の者もここに来ている。チョット申しておくが、世間ではヨク監獄内の通用語としてこの世の中のことを娑婆娑婆という。けれども、実際、今ではソンナ言葉は用いられておらぬ。みな「社会」といっている。
 予はこの監に来てから、最初一両日は換刑の者と一しょにおかれ、次に一週間ばかり独房におかれ、最後には他の軽禁錮の者とともに三人でおかれた。その同房の二人は衛戌監獄から来た軍人であった。その他、この監にいる者の中には、恐喝取財未遂の弁護士、詐欺取財の陸軍大佐、官吏侮辱の二六新報の署名人、犬姦事件の万朝報
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