な三角形の板張りがあって、土瓶、小桶などが置いてある。こりゃなかなかしゃれたものだと予は思うた。その夜はそのままフロックコートの丸寝をやった。
 二十一日の朝、糒《ほしいい》のような挽割飯を二口三口食うたばかりでまた取調所に引出され、午前十時頃でもあったろうか、十五六人のものどもと一しょに二台の馬車に乗せられて、今度は巣鴨監獄へと送られた。
 ここでチョット監獄署の種類別を説明しておかねばならぬ。まず東京監獄が未決監、市ガ谷監獄が初犯再犯などを入れるところ、巣鴨監獄が三犯以上の監獄人種および重罪犯などを入れるところの由。それから予らのごとき軽禁錮囚、および何か特別の扱いをうける分は、みな巣鴨に送られるのである。ついでに書いておくが女囚は八王子におかれ、未丁年囚は川越におかれる。

   三 巣鴨監獄

 巣鴨監獄に着いて、サアいよいよ奈落の底に落ちて来たのだと思うと、あまり気味がよくない。
 まず玄関のような一室で素裸にせられて、それから次の室で、「口を開けい」「両手をあげい」「四ん這いになれい」などという命令の下に身体検査をうけて、そこで着物と帯と手拭と褌とを渡される。いずれも柿色染であるが、手拭と褌とは縦に濃淡の染分けになって、多少の美をなしているからおかしい。着物は綿入の筒袖で、衿に白布が縫いつけられて、それに番号が書いてある。この白布は後に金札に改められた。堺利彦はこれより千九百九十号というものになり了った。
 この前後に姓名、年齢、原籍、罪名等について、それはそれは繁雑きわまる取調べがあった。薩摩なまり、東北なまり、茨城弁など、数多の看守が立ちかわり入れかわり、同じようなことを幾度となく聞きただしては手帳につけて行く。その混雑の有様、面白くもあれば、おかしくもある。中には「いつつかまった」と問うから、「つかまったことはありません」と答えると、不思議そうな顔をして解しかねているのもある。すべてが泥棒扱いだから堪らない。
 褌、靴下、風呂敷、ハンケチ、銀貨入りの小袋、ボロボロの股引など、それはそれは明細なことで、人の頭の一つや二つぐらい平気で擲るくせに、事いやしくも財物に関するときは、一毫の微一塵の細といえども、決して決して疎略にはせぬのである。財産神聖の観念はずいぶん深くしみこんだものだ。瘤の一つ二つや血の二三滴より、葉書一枚、手拭一筋の方が余程彼等には重大
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