て、少しだまっていらっしゃると思ったら泣出して、「坊はね能《よ》くお聞《きき》よ。先におなくなり為《なす》って、遠方の墓に埋られていらっしゃる方に、似てるのだよ。ぼうもねその方の通りに、寛大《ゆったり》して、やさしくッて、剛勇《つよ》くなっておくれよ」。こう聞いて訳もなく悲しくなって、すすり泣《なき》しながら、また何気なく、「アアその墓に埋ってる人は殿さまのようにえらいお方?」というと、さも見下果《みさげはて》たという様子を口元にあらわして、僕の手を思い入れ握りしめ、「どうしてどうしてお死になされたとわたしが申《もうし》た愛《いと》しいお方の側へ、従四位様を並べたら、まるで下郎《げろう》を以《もっ》て往《いっ》たようだろうよ」と仰有ってまたちょっと口を結び、力のなさそうな溜息《ためいき》をなすって、僕のあたまを撫《なで》ながら、「坊もどうぞあの通りな立派な生涯を送って、命を終る時もあのようにいさぎよくなければなりません。真の名誉というものは、神を信じト、世の中に働くことにあるので、真《まこと》の安全も満足もこの外に得られるものでないと、つねづね仰《おっしゃ》ったことを、御遺言として、記憶しておいで」と、心を一杯|籠《こ》めて仰ったのを、訳はよく分らないでも、忘れる処か、今そこでうかがったようにおぼえているんです。
いつかはまた、ちょっとした子供によくある熱に浮されて苦しみながら、ひるの中《うち》は頻《しき》りに寐反《ねがえ》りを打って、シクシク泣《ない》ていたのが、夜に入《い》ってから少しウツウツしたと思って、フト眼を覚《さま》すと、僕の枕元近く奥さまが来ていらっしゃって、折ふし霜月《しもつき》の雨のビショビショ降る夜を侵《おか》していらしったものだから、見事な頭髪《おぐし》からは冷たい雫《しずく》が滴《したた》っていて、気遣《きづか》わしげなお眼は、涙にうるんでいました。身動《みうごき》をなさる度ごとに、辺《あた》りを輝《て》らすような宝石がおむねの辺やおぐしの中で、ピカピカしているのは、なんでもどこかの宴会へお出《いで》になる処であったのでしょう。奥さまの涙が僕の顔へ当って、奥様の頬《ほほ》は僕の頬に圧《おっ》ついている中に僕は熱の勢か妙な感じがムラムラと心に浮んで、「アア/\おっかさんが生《いき》ていらっしゃれば好《い》いにねえ」というのを徳蔵おじが側から「だまってねるだアよ」といいましたッけが、奥様が「坊はわたしが床《とこ》の側に附《つい》ていて上ればおんなじじゃないか」とおっしゃったのを、僕がまた臆面《おくめん》なく「エエあなたも大変|好《すき》だけれど、おんなじじゃないわ。だっておっかさんは、そんな立派な光る物なんぞ着てる人じゃなかったんだものを」というと、それはそれは急にお顔色が変ったこと、ワットお泣なさったそのお声の悲《かなし》そうでしたこと。僕はあんなに身をふるわしてお泣《なき》なさるような失礼をどうしていったかと思って、今だに不思議でなりませんよ。そしてその夜は、明方《あけがた》まで、勿体《もったい》ないほど大事にかけて看病して下すったんです。しかし僕はあなたが聞いて下さるからッて、好気《いいき》になって、際限もなく話しをしていたら、退屈なさるでしょうから、いい加減にしますが、モ一ツ切り話しましょう。僕はこの時の事が悲しいといえば実に何ともいえないほど悲しいんですが、またどことなく嬉しいような処もあって、判然覚えているんです。丁度しわすのもの淋しい夜の事でしたが、吹《ふき》すさぶその晩の山おろしの唸《うな》るような凄《すご》い音は、今に思出されます。折ふし徳蔵おじは椽先《えんさき》で、霜《しも》に白《しら》んだ樅《もみ》の木の上に、大きな星が二つ三つ光っている寒空をながめて、いつもになく、ひどく心配サうな、いかにも沈んだ顔付《かおつき》をしていましたッけが、いつか僕のいる方を向て、「ナニ、奥《おく》さまがナ、えらい遠方へ旅に行《いら》しッて、いつまでも帰らっしゃらないんだから、逢《あい》に来《こ》いッてよびによこしなすったよ」と気のなさそうにいいました。何か仔細《しさい》の有そうな様子でしたが問返しもせず、徳蔵おじに連《つれ》られるまま、ふたりともだんまりで遠くもない御殿の方へ出掛《でかけ》て行ましたが、通って行く林の中は寂《さびし》くッて、ふたりの足音が気味わるく林響《こだま》に響くばかりでした。やがて薄暗いような大きい御殿へ来て、辺の立派なのに肝《きも》を潰《つぶ》し、語らえばどこまでもひびき渡りそうな天井を見ても、おっかなく、ヒョット殿さまが出ていらしッたらどうしようと、おそるおそる徳蔵おじの手をしっかり握りながら、テカテカする梯子段《はしごだん》を登り、長いお廊下を通って、漸《ようや》く奥様のお寝間《ねま》へ行着《ゆきつき》ましたが、どこからともなく、ホンノリと来る香《こう》は薫《かお》り床《ゆか》しく、わざと細めてある行燈《あんどう》の火影《ほかげ》幽《かす》かに、室《へや》は薄暗がりでしたが、炉《ろ》に焚《た》く火が、僅《わず》か燃残《もえのこ》って、思い掛けぬ時分にパット燃上っては廻りを急に明るくすると思えば、また俄《にわ》かに消失せて、元の薄暗がりになりました。僕は気味悪さに、ただそこここと見廻している斗《ばか》りでしたが、「モット側へおより」と徳蔵おじにいわれて、オジオジしながら二タ足三足、奥さまの御寝《おやすみ》なってるほうへ寄《より》ますと、横になっていらっしゃる奥様のお顔は、トント大理石の彫刻のように青白く、静な事は寝ていらっしゃるかのようでした。僕はその枕元にツクネンとあっけにとられて眺《なが》めていると、やがて恍惚《うっとり》とした眼を開《ひらい》てフト僕の方を御覧になって、初《はじめ》て気が着《つい》て嬉しいという風に、僕をソット引寄て、手枕をさせて横に寐かし、何かいおうとして言い兼《かね》るように、出そうと思う言葉は一々長い歎息《ためいき》になって、心に畳《たた》まってる思いの数々が胸に波を打たせて、僕をジット抱〆《だきしめ》ようとして、モウそれも叶《かな》わぬほどに弱ったお手は、ブルブル震えていましたが、やがて少し落着て……、落着てもまだ苦しそうに口を開けて、神に感謝の一言「神よ、オオ神よ、日々年々のこの婢女《しもめ》の苦痛を哀れと見そなわし、小児《こども》を側に、臨終を遂《とげ》させ玉うを謝し奉《たてま》つる。いと浅からぬ御恵《みめぐみ》もて、婢女の罪と苦痛を除き、この期《ご》におよび、慈悲の御使《おんつかい》として、童《わらべ》を遣《つか》わし玉いし事と深く信じて疑わず、いといとかしこみ謝し奉る」と。祈り終って声は一層|幽《かすか》に遠くなり、「坊や坊には色々いい残したいことがあるが、時|迫《せま》って……何もいえない……ぼうはどうぞ、無事に成人して、こののちどこへ行て、どのような生涯を送っても、立派に真の道を守《まもっ》ておくれ。わたしの霊《たましい》はここを離れて、天の喜びに赴《おもむ》いても、坊の行末によっては満足が出来ないかも知れません、よっくここを弁《わきま》えるのだよ……」。仰《おっしゃ》って、いまは、透き通るようなお手をお組みなされ、暫《しばら》く無言でいらっしゃる、お側へツッ伏《ぷ》して、平常《ふだん》教えて下すった祈願《いのり》の言葉を二た度三度繰返して誦《とな》える中《うち》に、ツートよくお寐入《ねいり》なさった様子で、あとは身動きもなさらず、寂《ひっそ》りした室内には、何の物音もなく、ただ彼《か》の暖炉《だんろ》の明滅が凄《すご》さを添えてるばかりでした。子供ながらもその場の厳《おごそ》かな気込《きごみ》に感じ入って、佇《たたず》んだままでいた間はどの位でしたか、その内に徳蔵おじが、「奥さまはモウおなくなりなさったから、お暇《いとま》しなければならない、見納《みおさめ》にモウ一度お顔をよく拝《おが》んでおけ」と声を曇らしていいました。僕は死ぬるという事はどういう事か、まだ判然分らなかったのですが、この時大事な大事な奥様の静かに眠っていらっしゃるのを、跡に見てすすり泣きしながら、徳蔵おじに手を引《ひか》れて、外へ出た時、初めて世はういものという、習い始めをしました。
これからあと直《すぐ》に、徳蔵おじはお暇《いとま》を願って、元《も》と出た自分の国へ引込みました。徳蔵おじはモウ年が寄って、故郷《ふるさと》を離れる事が出来ないので、七年という実に面白い気楽な生涯をそこで送り、極《ごく》おだやかに往生を遂《とげ》る時に、僕をよんで、これからは兼て望《のぞみ》の通り、船乗りになっても好《よい》といいました。僕は望が叶《かなっ》たんだから、嬉しいことは嬉しいけれど、ここを離れて行くとなると何だか心残《こころのこり》です。ですが僕はこんなに気楽には見えてもあのように終りまで心にかけて、僕のようなものの行末を案じて下すった奥さまに対して、是非《ぜひ》清い勇ましい人物にならなくッてはならないと、始終考えているんです。
底本:「日本児童文学名作集(上)」岩波文庫、岩波書店
1998(平成10)年6月15日発行第8刷)
入力校正者:浜野 智
1999年2月20日公開
2001年8月30日修正
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