。
『隨分遠くにゐますが、段々近づいて來ませう。』
と言ひながらT――君はやつて來て、同じく耳を澄ましながら、
『ソレ、啼いてませう、あの山に。』
と、岩山の方を指す。
『ア、啼いてます/\、隨分かすかだけれど――。』
M――君も言つて立ち上つた。
まだ私には聞えない。何處を流れてゐるか、森なかの溪川の音ばかりが耳に滿ちてゐる。
二人とも庭に出た。身體の近くを雲が流れてゐるのが解る。
『啼いてますが、あれでは先生には聞えますまい。』
と、M――君が氣の毒さうにいふ。彼は私の耳の遠いのを前から知つてゐるのである。
近づくのを待つことに諦めて部屋に入り、酒を續けた。酒が終ると、醉と勞れとで二人とも直ぐぐつすりと眠つてしまつた。
M――君はその翌十六日、降りしきる雨を冒して山を下つて行つた。そして私だけ獨りその後二十一日までその寺に滯在してゐた。その間の見聞記を少し書いて見度い。
鳳來山は元來噴火しかけて中途でやみ、その噴出物が凝固して斯うした怪奇な形の山を成したものださうである。で、土地の岩層や岩質などを研究するとなか/\複雜で面白いといふことである。高さは海拔僅かに二千三百尺、山塊全體もさう大きなものではないが、切りそいだやうに聳えた大きな岩壁、それらの間に刻み込まれた溪谷など、とにかく眼に立つ眺めを持つて居る。それにさうした岩山に似合はず、不思議によく樹木が育つて、岩壁や裂目にまで見ごとな大木が隙間もなくぴつたりと立ち茂つてゐる。この樹木の繁いことが少なからずこの山の眺めを深くもし大きくもしているのである。多く杉檜等の針葉樹であるが、間々この山獨特の珍しい草木もあるとのことである。
南面した山の中腹に鳳來寺がある。推古天皇の時僧理修の開創で、更に文武天皇大寶年間に勅願所として大きな堂宇が建立されたのださうだ。その後源頼朝もいたくこの寺の藥師如來を信仰して多くの莊園を奉納し、下つて徳川廣忠は子なきを患ひて此所に參籠祈願して家康を生んだといふので家光家綱相續いて殿堂鐘樓樓門その他山林方三里、及び多大の境地を寄附し、新に家康の廟東照宮を置き一時は寺封千三百五十石、十九ヶ村の多きに上つたといふことである。(加藤與曾次郎氏著『門谷附近の史蹟』に據る)ところが明治の革新に際し制度の變遷から悉く此等の寺封を取除かれ、その上明治八年及び大正三年兩度の火災で本堂初め十二坊からあつた他の寺々まで燒け失せて今では僅に醫王院松高院の二堂を殘すのみとなつている。現在の住職服部賢定氏これを嘆いて數年間に渉つて鳳來山の裏山にあたる森林の拂下げを願ひ出て終に許可を得、それより費用を得て目下本堂建築の工事中である。拂下げを受けた面積三千百十三町七反歩、而かもなほ寺の境内として殘してある森林の面積百五十八町三反歩といふのに見ても如何にこの山を包む森林の廣いかは解るであらう。
或日私は案内せられて東照宮の裏手から山の頂上の方に登つて行つた。前にも言う通りこの山は岩山ゆゑ、みつちりと樹木の立ち込んだ峯のところ/″\に恰も鉾を立てた樣に森から露出して聳え立つた岩の尖りがある。それらの一つ一つに這ひ登つてこちらの溪、そちらの峽間に茂り合つて麓の方に擴がつて行つてゐる森の流を見下してゐると、まことに何とも言へぬ伸びやかな靜かな心になつてゆくのであつた。
何百丈か何千丈か、乾反《ひそ》り返つて聳え立つた岩壁の頂上に坐つて恐る/\眼下を見てゐると、多くは迫《せこ》になつた森の茂みに籠つて實に數知れぬ鳥の聲が起つてゐる。我等の知つてゐるものは僅にその中の一割にも足らぬ。多くは名も聲も聞いた事のないもののみである。僅に姿を見せて飛ぶは鴨樫鳥に啄木鳥位ゐのもので、その他はたゞ其處此處に微妙な音色を立てゝゐるのみで、見渡す限りたゞ青やかな森である。
中に水戀鳥といふのゝ啼くのを聞いた。非常に透る聲で、短い節の中に複雜な微妙さを含んで聞きなさるゝ。これは全身眞紅色をした鳥ださうで自身の色の水に映るを恐れて水邊に近寄らず、雨降るを待ち嘴を開いてこれを受けるのださうである。そして旱《ひでり》が續けば水を戀うて啼く、その聲がおのづからあの哀しい音いろとなつたのだと云ふ。
私は此處に來てつく/″\自分に鳥についての知識の無いのを悲しんだ。あれは、あれはと徒らにその啼聲に心をときめかすばかりで、一向にその名を知らず、姿をも知らないのである。山の人ものんきで、殆んど私よりも知らない位ゐであつた。
石楠木《しやくなぎ》のこの山に多いのをば聞いてゐたが、いかにも豫想外に多かつた。そして他の山のものと違つた種類であるのに氣がついた。さうなると植物上の知識の乏しいのをも悲しまねばならぬことになるが、兎に角他の石楠木と比べて葉が甚だ細くて枝[#「枝」は底本では「技」と誤記]が繁い。檜や栂《とが》の大木の下にこの木ばかりが下草をなしてゐる所もあつた。花のころはどんなであらうと思はれた。葉も枝もどうだんの木と少しも違はないやうな木で釣鐘躑躅といふのがあつた。花がみな釣鐘の形をなし、それこそ指でさす隙間もないほどぎつちりと咲き群がるのださうである。ふり仰ぐ絶壁の中腹などに僅に深山躑躅の散り殘つてゐるのを見る所もあつた。また、苔清水の滴つている岩の肌にうす紫のこまかな花の咲いてゐるのがあつた。岩千鳥といふのださうでいかにも高山植物に似た可憐な花であつた。鳳來寺百合といふ百合も岩に垂れ下つて咲いてゐた。この百合もこの山獨特のものだと聞いてゐた。
山の尾根から傳つて歩いてゐると、遠く渥美《あつみ》半島が見えた。またその反對の北の方には果もなく次から次と蜒《うね》り合つた山脈が見えて、やがて雲の間にその末を消してゐる。美濃路信濃路の山となるのであらう。さうした大きな景色を眺めてゐると、我等の坐つた懸崖の眞下の森を啼いて渡る杜鵑《ほととぎす》の聲がをり/\聞えて來た。もう時季が遲いために、この鳥の啼くのはめつきり少なくなつているのださうである。
私が山に登つてから三日間は少しの雨間もなく降り續いた。しかも並大抵の降りでなく、すさまじい響をたてゝ降る豪雨であつた。で、その間は全くその山を包んだ雨聲の中に身うごきもならぬ氣持で過してゐたのである。雨に連れて雲が深かつた。明けても暮れても眞白な密雲のなかに、殆んど人の聲を聞かず顏を見ずに過してゐた。
十八日の晝すぎから晴れて來た。
『今夜こそ啼きますぞ。』
寺の人が斯う言つて微笑した。最初この寺に登つて來た晩に遠くで啼いたと聞くばかりで、私はまだ樂しんで來た佛法僧を聞くことなしにその日まで過して來たのであつた。この鳥は晴れねば啼かぬのださうだ。
『啼きませうか、啼いて呉れるといゝなア。』
その夕方は飮み過ぎない樣に酒の量をも加減して啼くのを待つた。洋燈がともり、私の癖の永い時間の酒も終つたが、まだ啼かない。庭に出て見ると、久しく見なかつた星が、嶮しい峰の上にちらちら輝いてゐる。墨の樣に深い色をした峽間の森には、例の名も知れぬ鳥が頻りに啼いてゐるのだが、待つてゐるのはなか/\啼かない。
九時頃であつた。半ば諦めた私は床を敷いて寢ようとしながら、フツと耳を立てた。そして急いで廊下の窓のところへ行つた。其處の勝手の方からも寺の人が出て來た。
『解りましたか、啼いてますよ。』
『ア、矢張りあれですか、なるほど、啼きます、啼きます。』
私はおのづから心臟の皷動の高まるのを覺えた、そしてまたおのづからにして次第に心氣の潛んでゆくのをも。
なるほどよく啼く。そして實にいゝ聲である。世の人の珍しがるのも無理ならぬことだと眼を瞑ぢて耳を傾けながら微笑した。
『自分の考へてゐたのとは違つてゐる。』
とも、また、思つた。
私は初めこの佛法僧といふ鳥を、山城の比叡山あたりで言つてゐる筒鳥といふのと同じものだと豫想してゐた。その啼き聲が、佛、法、僧といふと云ふところから、曾つて親しく聞いたことのある筒鳥の啼き聲を聯想せざるを得なかつた。筒鳥の聲が聞きやうによつてはさう聞えないものでもないからである。たゞ筒鳥は單に佛、法、僧といふ如く三音に響いて切れるでなく、ホツホツホツホツホウと幾つも續いて釣瓶打に啼きつゞけるのである。然し、その寂びた靜かな音いろはともすると佛法僧といふ發音や文字づらと關聯して考へられがちであつたのだ。
まことの佛法僧は筒鳥とは違つてゐた。然し、その啼き聲を佛、法、僧と響くといふのも甚だ當を得てゐない。これは佛法の盛んな頃か何か、或る僧侶たちの考へたこぢつけに相違ないと私は思つた。この鳥の聲はそんな枯れさびれたものではないのである。いかにも哀音悲調と謂つた風の、うるほひのある澄み徹つた聲であるのだ。いかにも物かなしげの、迫つた調子を持つてゐるのである。
そして佛、法、僧という風に三音をば續けない。高く低くたゞ二音だけ繰返す。その二音の繰返しが十度び位ゐも切々《せつ/\》として繰返さるゝと、合の手見た樣に僅かに一度、もう一音を加へて三音に啼く。それをこぢつけて佛法僧と呼んだものであらう。普通はたゞ二音を重ねて啼くのである。
たとへば郭公の啼くのが、カツ、コウと二音を重ねるのであるが、あれと似てゐる。然し似てゐるのはたゞそれだけで、その音色の持つ調子や心持は全然違つてゐる。郭公も實に澄んだ寂しい聲であるが、佛法僧はその寂びの中に更に迫つた深みと鋭どさとを含んで居る。さればとて杜鵑の鋭どさでは決してない。言ひがたい圓みとうるほひとを其鋭どさの中に包んでゐる。兎に角、筒鳥にせよ、郭公にせよ、杜鵑にせよ、その啼聲のおほよその口眞似も出來、文字にも書くことが出來るが、佛法僧だけは到底むつかしい。器用な人ならば或は口眞似は出來るかも知れぬが、文字には到底不能である。それだけ他に比して複雜さを持つてゐるとも謂へるであらう。
不思議に四月の二十七日か若《も》しくはその翌日の八日かゝら啼き始めるのださうである。殆んど[#「殆んど」は底本では「始んど」]その日を誤らないといふ。南洋からの渡り鳥で、全身緑色、嘴と足とだけが紅く、大きさはおほよそ鴨に似てゐるさうだ。稀には晝間に啼くこともあるさうだが、決して姿を見せない。山に住んで居る者でも誰一人それを見た者はないといふ。
この鳥も郭公などと同じく、暫くも同じところに留つてゐない。啼き始めると續けさまにその物悲しげな啼聲を續けるのであるが、殆んどその一聯ごとに場所を換へて啼いてゐる。それも一本の木の枝をかへて啼くといふでなく、一町位ゐの間を置いて飛び移りつゝ啼くのである。このことが一層この鳥の聲を迫つたものに聞きなさせる。
十八日、私は殆んど夜どほし窓の下に坐つて聽いてゐた。うと/\と眠つて眼をさますと、向うの峯で啼くのが聞える。一聲二聲と聞いてゐると次第に眼が冴えて、どうしても寢てゐられないのである。
星あかりの空を限つて聳えた嶮しい山の峰からその聲が落ちて來る。ぢいつと耳を澄ましてゐると、其處に行き、彼處に移つて聞えて來る。時とすると更け沈んだ山全體が、その聲一つのために動いてゐる樣にも感ぜらるゝのである。
十九日の夜もよく啼いた。そして午前の四時頃、他のものでは蜩《ひぐらし》が一番早く聲を立つるのであるが、それをきつかけに佛法僧はぴつたりと默つてしまふ樣である。それから後はあれが啼きこれが叫び、いろ/\な鳥の聲々が入り亂れて山が明けて行く。
二十日に私は山を下つた。滯在六日のうち、二晩だけ完全にこの鳥を聞くことが出來た。二晩とも闇であつたが、月夜だつたら一層よかつたらうにと思はれた。また、月夜にはとりわけてよく啼くのださうである。いつかまた月のころに登つてこの寂しい鳥の聲に親しみたいものだ。
底本:「若山牧水全集第八巻」雄鶏社
1958(昭和33)年9月30日初版1刷
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:柴武志
校正:小林繁雄
2001年2月8日公開
2004年8月30日修正
青空文庫作成ファイ
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