其處の勝手の方からも寺の人が出て來た。
『解りましたか、啼いてますよ。』
『ア、矢張りあれですか、なるほど、啼きます、啼きます。』
私はおのづから心臟の皷動の高まるのを覺えた、そしてまたおのづからにして次第に心氣の潛んでゆくのをも。
なるほどよく啼く。そして實にいゝ聲である。世の人の珍しがるのも無理ならぬことだと眼を瞑ぢて耳を傾けながら微笑した。
『自分の考へてゐたのとは違つてゐる。』
とも、また、思つた。
私は初めこの佛法僧といふ鳥を、山城の比叡山あたりで言つてゐる筒鳥といふのと同じものだと豫想してゐた。その啼き聲が、佛、法、僧といふと云ふところから、曾つて親しく聞いたことのある筒鳥の啼き聲を聯想せざるを得なかつた。筒鳥の聲が聞きやうによつてはさう聞えないものでもないからである。たゞ筒鳥は單に佛、法、僧といふ如く三音に響いて切れるでなく、ホツホツホツホツホウと幾つも續いて釣瓶打に啼きつゞけるのである。然し、その寂びた靜かな音いろはともすると佛法僧といふ發音や文字づらと關聯して考へられがちであつたのだ。
まことの佛法僧は筒鳥とは違つてゐた。然し、その啼き聲を佛、法、僧と響くといふのも甚だ當を得てゐない。これは佛法の盛んな頃か何か、或る僧侶たちの考へたこぢつけに相違ないと私は思つた。この鳥の聲はそんな枯れさびれたものではないのである。いかにも哀音悲調と謂つた風の、うるほひのある澄み徹つた聲であるのだ。いかにも物かなしげの、迫つた調子を持つてゐるのである。
そして佛、法、僧という風に三音をば續けない。高く低くたゞ二音だけ繰返す。その二音の繰返しが十度び位ゐも切々《せつ/\》として繰返さるゝと、合の手見た樣に僅かに一度、もう一音を加へて三音に啼く。それをこぢつけて佛法僧と呼んだものであらう。普通はたゞ二音を重ねて啼くのである。
たとへば郭公の啼くのが、カツ、コウと二音を重ねるのであるが、あれと似てゐる。然し似てゐるのはたゞそれだけで、その音色の持つ調子や心持は全然違つてゐる。郭公も實に澄んだ寂しい聲であるが、佛法僧はその寂びの中に更に迫つた深みと鋭どさとを含んで居る。さればとて杜鵑の鋭どさでは決してない。言ひがたい圓みとうるほひとを其鋭どさの中に包んでゐる。兎に角、筒鳥にせよ、郭公にせよ、杜鵑にせよ、その啼聲のおほよその口眞似も出來、文字にも書くことが出來るが、佛法僧だけは到底むつかしい。器用な人ならば或は口眞似は出來るかも知れぬが、文字には到底不能である。それだけ他に比して複雜さを持つてゐるとも謂へるであらう。
不思議に四月の二十七日か若《も》しくはその翌日の八日かゝら啼き始めるのださうである。殆んど[#「殆んど」は底本では「始んど」]その日を誤らないといふ。南洋からの渡り鳥で、全身緑色、嘴と足とだけが紅く、大きさはおほよそ鴨に似てゐるさうだ。稀には晝間に啼くこともあるさうだが、決して姿を見せない。山に住んで居る者でも誰一人それを見た者はないといふ。
この鳥も郭公などと同じく、暫くも同じところに留つてゐない。啼き始めると續けさまにその物悲しげな啼聲を續けるのであるが、殆んどその一聯ごとに場所を換へて啼いてゐる。それも一本の木の枝をかへて啼くといふでなく、一町位ゐの間を置いて飛び移りつゝ啼くのである。このことが一層この鳥の聲を迫つたものに聞きなさせる。
十八日、私は殆んど夜どほし窓の下に坐つて聽いてゐた。うと/\と眠つて眼をさますと、向うの峯で啼くのが聞える。一聲二聲と聞いてゐると次第に眼が冴えて、どうしても寢てゐられないのである。
星あかりの空を限つて聳えた嶮しい山の峰からその聲が落ちて來る。ぢいつと耳を澄ましてゐると、其處に行き、彼處に移つて聞えて來る。時とすると更け沈んだ山全體が、その聲一つのために動いてゐる樣にも感ぜらるゝのである。
十九日の夜もよく啼いた。そして午前の四時頃、他のものでは蜩《ひぐらし》が一番早く聲を立つるのであるが、それをきつかけに佛法僧はぴつたりと默つてしまふ樣である。それから後はあれが啼きこれが叫び、いろ/\な鳥の聲々が入り亂れて山が明けて行く。
二十日に私は山を下つた。滯在六日のうち、二晩だけ完全にこの鳥を聞くことが出來た。二晩とも闇であつたが、月夜だつたら一層よかつたらうにと思はれた。また、月夜にはとりわけてよく啼くのださうである。いつかまた月のころに登つてこの寂しい鳥の聲に親しみたいものだ。
底本:「若山牧水全集第八巻」雄鶏社
1958(昭和33)年9月30日初版1刷
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:柴武志
校正:小林繁雄
2001年2月8日公開
2004年8月30日修正
青空文庫作成ファイ
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