繁い。檜や栂《とが》の大木の下にこの木ばかりが下草をなしてゐる所もあつた。花のころはどんなであらうと思はれた。葉も枝もどうだんの木と少しも違はないやうな木で釣鐘躑躅といふのがあつた。花がみな釣鐘の形をなし、それこそ指でさす隙間もないほどぎつちりと咲き群がるのださうである。ふり仰ぐ絶壁の中腹などに僅に深山躑躅の散り殘つてゐるのを見る所もあつた。また、苔清水の滴つている岩の肌にうす紫のこまかな花の咲いてゐるのがあつた。岩千鳥といふのださうでいかにも高山植物に似た可憐な花であつた。鳳來寺百合といふ百合も岩に垂れ下つて咲いてゐた。この百合もこの山獨特のものだと聞いてゐた。
山の尾根から傳つて歩いてゐると、遠く渥美《あつみ》半島が見えた。またその反對の北の方には果もなく次から次と蜒《うね》り合つた山脈が見えて、やがて雲の間にその末を消してゐる。美濃路信濃路の山となるのであらう。さうした大きな景色を眺めてゐると、我等の坐つた懸崖の眞下の森を啼いて渡る杜鵑《ほととぎす》の聲がをり/\聞えて來た。もう時季が遲いために、この鳥の啼くのはめつきり少なくなつているのださうである。
私が山に登つてから三日間は少しの雨間もなく降り續いた。しかも並大抵の降りでなく、すさまじい響をたてゝ降る豪雨であつた。で、その間は全くその山を包んだ雨聲の中に身うごきもならぬ氣持で過してゐたのである。雨に連れて雲が深かつた。明けても暮れても眞白な密雲のなかに、殆んど人の聲を聞かず顏を見ずに過してゐた。
十八日の晝すぎから晴れて來た。
『今夜こそ啼きますぞ。』
寺の人が斯う言つて微笑した。最初この寺に登つて來た晩に遠くで啼いたと聞くばかりで、私はまだ樂しんで來た佛法僧を聞くことなしにその日まで過して來たのであつた。この鳥は晴れねば啼かぬのださうだ。
『啼きませうか、啼いて呉れるといゝなア。』
その夕方は飮み過ぎない樣に酒の量をも加減して啼くのを待つた。洋燈がともり、私の癖の永い時間の酒も終つたが、まだ啼かない。庭に出て見ると、久しく見なかつた星が、嶮しい峰の上にちらちら輝いてゐる。墨の樣に深い色をした峽間の森には、例の名も知れぬ鳥が頻りに啼いてゐるのだが、待つてゐるのはなか/\啼かない。
九時頃であつた。半ば諦めた私は床を敷いて寢ようとしながら、フツと耳を立てた。そして急いで廊下の窓のところへ行つた。
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