まだ纏らぬ。其うち二階ではまた何か言ひ合ひ始めた。壊れた喇叭の様な男の声に混つてゐる女の声はまるでブリキを磨り合せてゐるやうだ。それにしてもなか/\いゝ女だ、久しぶりにあゝした女を見た、などとまたあらぬ事を考へ始める。
うと/\してゐると、突然ぼう――つといふ汽船の笛が直ぐ耳もとに落ちて来た。
三崎行だな、と思つた時には既に半分私は立ち上つてゐた。
『おばさん、勘定々々、大急ぎだ。』
『…………?』
『三崎だ/\、大急ぎ!』
駆けつけた時は丁度砂から艀を降す所であつた。身軽に飛び乗るとする/\と波の上に浮び出た。小さな、黒い汽船はやゝ離れた沖合に停つてまだ汽笛を鳴らしてゐる。房州の端《はな》が眼近に見え、右手は寧ろ黒々とした遠く展けた外洋である。せつせ[#「せつせ」に傍点]と押し進む艀の両側には、鰹《かつを》からでも追はれて来てゐたか、波の表が薄黒く見ゆる位ゐまでに集つた※[#「魚+是」、第4水準2−93−60]《しこ》の群がばら/\/\と跳ね上がつた。
底本:「日本の名随筆92 岬」作品社
1990(平成2)年6月25日第1刷発行
底本の親本:「若山牧水全集 第五巻」雄鶏社
1958(昭和33)年5月発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:渡邉つよし
校正:門田裕志
2002年11月12日作成
2004年8月30日修正
青空文庫作成ファイル:
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