た。この啼きかたは非常に迫つて聞える。
六月二十四日。
朝、洗面所で顏を洗つてゐると、その横の部屋から一人の泊客、痩せた青年が出て來て私を見てゐるらしかつたが、不意に牧水先生ではないか、と言ふ。君は、と問ひ返すと意外にも前のY――君やK――君たちと同じく我等の創作社々友T――君であつた。この人は入社して何年にもならぬが、歌に異色があり、印象の深い人であつた。同じく昨夜佛法僧聞きに來てゐたのであると。彼は名古屋の八高の生徒である。
朝食を共にし、一緒に山に登つた。實は昨夜よく聞いたには聞いたが、耳の惡い私には、もう少し近かつたら、の慾が出たのである。そして山の寺に一二泊を頼まうと思ふたのであつた。寺にはこの前の時の知合の僧侶がゐた。
彼も少なからず驚いて上へ招じて呉れた。そして、朝から酒ばかり飮んで何をする人かあの時はさつぱり解らなんだが、といふ四年前の囘顧談などが出た。あの時は三度々々梅干ばかりさしあげたが、今では寺でも相當の用意がしてある故、どうぞゆつくりして行つて呉れ、と勸められた。實は梅干すらその時は出し惜しまれたのであつた。そして明けても暮れても麩《ふ》ばかりであつた。天氣も惡く、寺は毎日雲霧に包まれてゐた。で、私は麩化登仙の熟語を作つて自ら慰めたものである。人に眼だたぬ廊下の隅がその時の私の居場所であり飮場所であつた。その隅を眺めつつ四年の昔を戀しく思つた。
寺の中もすつかり綺麗になつてゐた。それとなく聞いてみると今夜豐橋の實業家たちが登つて來て佛法僧を聞き乍ら寺で謠曲會を開くのだといふ。T――君と相顧み、麥酒など勸めらるるのをも辭して別れた。東照宮の方に行く途で、見覺えのある老爺に出會ふた。寺の寺男である。毎日私のために飮料を麓から運んで呉れた恩人であつた。銀貨を紙に捻《ひね》り、不審がる彼に渡して別れた。
宿屋に歸り、折柄の自動車に飛び乘り、長篠に出で、折角の奇遇をこのまゝ別るゝも辛く、其處より二三驛|上手《かみて》の湯谷温泉まで行つて共にゆつくり話さうといふことになり、電車に乘つた。車内は相當にこんでゐたが、湯谷驛に近づくやみな降り仕度をし始めた。名古屋邊から來た所謂散財の客らしい。また相苦笑して其處を乘越し、終點驛川合まで出てしまうた。そして其處に唯だ一軒の宿屋二木屋といふに荷物を置き、行く所もないまゝに百間瀧などといふ邊を散歩した。このあたり豐川ももうほんの溪谷となり、下駄ばきのまゝ徒渉出來るのであつた。岸の岩には相變らず躑躅が咲き、河鹿が頻りに鳴いた。
夜、柄にもなく旅愁を覺え、この病身の初對面の友を相手に私は酒を過した。そして終に藝者と名乘る女をも呼んで伊奈節を聞いたり唄うたりした。宿屋の前の往還が信州伊奈に通ずるものであることを聞いて思ひついた事であつたらう。
『先生、いつそ伊奈まで行きませうか。』
四五杯の酒に醉うた年若い友はその痩せた手を擧げて言うた。
六月二十五日。
頭をよくするどころか、へと/\になつて、夜遲く沼津に歸つた。靜かにならう、靜かにならうと努めつゝいつか知ら結果はその反對になる、いつもの癖を身にしみじみと感じながら。
硯はよき土産であつた、机の上に靜かである。鳳來寺の山よ。希《ねがは》くは永久に靜かな山であつて呉れ。
底本:「若山牧水全集第八巻」雄鶏社
1958(昭和33)年9月30日初版1刷
入力:柴武志
校正:小林繁雄
2001年2月8日公開
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