なりの老木が隨分の廣さで茂つて居る。其の森蔭の御手洗の池は誠に清らかであつた。香取にもあつたが此處にもかなめ石と云ふのがある。幾ら掘つてもこの石の根が盡きないと云ひ囃されて居るのだ相な。岩石に乏しい沼澤地方の人の心を語つて居るものであらう。此所の社も丘の上にある。この平かな國にあつて大きな河や沼やを距てた丘と丘とに對ひ合つて斯うした神社の祀られてあると云ふ事が何となく私に遙かな寂しい思ひをそゝる。お互ひに水邊に立てられた一の鳥居の向ひ合つて居るのも何か故のある事であらう。
豐津に歸つた頃雨も滋く風も加つた。鳥居の下から舟を雇つて潮來へ向ふ、苫《とま》をかけて帆あげた舟は快い速度で廣い浦、狹い河を走つてゆくのだ。ずつと狹い所になるとさつさつと眞菰の中を押分けて進むのである。眞みどりなのは眞菰、やや黒味を帶びたのは蒲ださうである。行々子の聲が其所からも此所からも湧く。船頭の茂作爺は酒好きで話好きである。潮來の今昔を説いて頻りに今の衰微を嘆く。
川から堀らしい所へ入つて愈々眞菰の茂みの深くなつた頃、或る石垣の蔭に舟は停まつた。茂作爺の呼ぶ聲につれて若い女が傘を持つて迎へに來た。其所はM――屋といふ引手茶屋であつた。二階からはそれこそ眼の屆く限り青みを帶びた水と草との連りで、その上をほのかに暮近い雨が閉してゐる。薄い靄の漂つてをる遠方に一つの丘が見ゆる。某所が今朝詣でゝ來た香取の宮である相な。
何とも云へぬ靜かな心地になつて酒をふくむ。輕やかに飛び交してをる燕にまじつてをりをり低く黒い鳥が飛ぶ。行々子であるらしい。庭ききの堀をば丁度田植過の田に用ゐるらしい水車を積んだ小舟が幾つも通る。我等の部屋の三味の音に暫く棹を留めて行くのもある。どつさりと何か青草を積込んで行くのもある。
それらも見えず、全く闇になつた頃名物のあやめ踊りが始まつた。十人ばかりの女が眞赤な揃ひの着物を着て踊るのであるが、これはまたその名にそぐはぬ勇敢無双の踊りであつた。一緒になつて踊り狂うた茂作爺は、それでも獨り舟に寐に行つた。
翌朝、雨いよ/\降る。
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霞が浦即興
わが宿の灯影さしたる沼尻の葭の繁みに風さわぐ見ゆ
沼とざす眞闇ゆ蟲のまひ寄りて集ふ宿屋の灯に遠く居る
をみなたち群れて物洗ふ水際に鹿島の宮の鳥居古りたり
鹿島香取宮の鳥居は湖越しの水にひたりて相向ひたり
苫蔭にひそみつゝ見る雨の日の浪逆《なさか》の浦はかき煙らへり
雨けぶる浦をはるけみひとつゆくこれの小舟に寄る浪聞ゆ
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底本:「現代日本紀行文学全集 東日本編」ほるぷ出版
1976(昭和51)年8月1日初版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:林 幸雄
校正:松永正敏
2004年5月1日作成
青空文庫作成ファイル:
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