も目に見え、思ひ切り踵の高い靴のひゞきも聞えて來る。芒がなびき、楢の葉が冬枯れて風に鳴る。
 これらの野原がすべて火山に縁のあるのも私には面白い。武藏野はもと/\富士山の灰から出來たのであるさうな。

 人は彼の樹木の地に生えてゐる靜けさをよく知つてゐるであらうか。ことに時間を知らず年代を超越した樣な大きな古木の立つてゐる姿の靜けさを。
 獨り靜かに立つてゐる姿もいゝ。次から次と押し竝んで茂つてゐる森林の靜けさ美しさも私を醉はすものである。
 自然界のもろ/\の姿をおもふ時、私はおほく常に靜けさを感ずる。なつかしい靜寂《せいじやく》を覺ゆる。中で最も親しみ深いそれを感ずるのは樹木を見る時である。また、森林を見、且つおもふ時である。
 樹木の持つ靜けさには何やら明るいところがある。柔かさがある。あたゝかさがある。
 森となるとやゝ其處に冷たい影を落して來る。そして一層その靜けさが深んで來る。森の中でのみは私は本統に遠慮なく心ゆくばかりに自分の兩眼を見開き、且つ瞑づる事が出來る樣である。山岳を仰ぐ時、溪谷を瞰下《みおろ》す時に同じくそれを覺えないではないけれども。
 森をおもふと、かすかに/\、もろ/\の鳥の聲が私の耳にひゞいて來る。
 自分の好むところに執して私はおほく山のことをのみ言うて來た。
 海も嫌ひではない。あの青やかな、大きな海。うねり浪だち、飛沫がとぶ。大洋、入江、海峽、島、岬、そして其處此處の古い港から新しい港。
 然し、いまそれに就いて書き始めるといかにも附けたりの樣に聞える虞《おそれ》がある。

 庭さきに立つ一本の樹に向つてゐても、春、夏、秋、冬の移り變りの如何ばかり微妙であるかは知り得べき筈である。
 況《ま》してや其處に田があり畑があり、野あり大海がある。頭の上には常に大きな空がある。
 それでゐて人はおほく自然界に於けるこの四季の移り變りのこまかな心持や感覺やを知らずに過して居る樣である。僅かに暑い寒いで、着物のうつりかへで寧ろ概念的に知り得るのみの樣である。
 何といふ不幸なことであらう。
 一寸にも足らぬ一本の草が芽を出し、伸び、咲き、稔《みの》り、枯れ、やがて朽ちて地上から影を消す。そしてまた暖い春が來ると其處に青やかな生命の芽を見する。いつの間にか一本は二本になり三本になつてゐる。
 砂糖の壜に何やら黒いものが動いてゐる。
『オヽ、もう蟻が出たか!』
 といふあの心持。
 私はあれを、骨身の痛むまでに感じながらに一生を送つて行きたいと願つてゐる。それは一面、自然界のもろ/\のあらはれが自分の身を通して現はれて來る意にもならうかと思はるゝ。



底本:「若山牧水全集 第七卷」雄鷄社
   1958(昭和33)年11月30日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:柴 武志
校正:林 幸雄
2001年6月20日公開
2005年11月17日修正
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