けそれが斷えて、まばらな雜木林となつてゐた。無論もう一つ葉も枝にはついてゐない枯木の林だ。其處へほつとりと日がさして、風も吹かず、鳥も啼かない。まことに静かだ。
 不圖《ふと》私は自分の眼の前にこまかにさし交はしてゐるその冬枯の木の枝のさきに妙なものゝ附いてゐるのを見つけた。初めは何かの花の蕾かとも思つた。丁度小豆粒ほどの大きさで幾重かの萼《がく》見たやうな薄皮で包まれてゐる。然し、いま咲く花もあるまい、さう思ひながら私はその一つを枝から摘み取つて中をほぐして見た。そしてそれが思ひがけないその木の芽であることを知つた。木の芽と云ふが、それが開いて葉となる、あれである。
 一つ葉も殘つてはゐないと云ふものゝ、ほんの昨日か一昨日散つてしまつたといふほどのところであつた。さうして散つてしまつたと見ると、もう一日か二日の間に次の年の葉の芽が斯のやうに枝ぢゆうに萌え出て來て居るのである。私はまつたく不思議なものを見出した樣な驚きを覺えた。
 これら高山の、寒いところの樹木たちは斯うして惶しい自分等の生活の營みを續けてゐるのである。暫らくもぼんやりしてゐられないのだ。少しの時間をも惜んで、自分を伸ばして行かうとしてゐるのである。霜がおりて葉が染まる、落ちる、程なく雪がやつて來るのである。そしてそれからの永い間を雪の中に埋つてゐるのだ。その間こそ彼等のどうにもならぬ永い/\休息の時である。年を越えて、恐らく五月か六月の頃までさうして靜かにしてゐねばならぬのであらう。サテ雪が解ける。それとばかりに昨年の秋からこらへてゐたその芽生の力をいつせいに解きほぐすのである。さう思ひ始めると私はその靜寂を極めた冬枯の木立の間にまことに眼に見えず耳に聞えぬ大きな力の動いてゐるのを感ぜずにはゐられなかつた。大きな力が、何處ともなしに方向を定めて徐ろに動きつゝあるのを感ぜずにはゐられなかつた。
 峠をおりて私は湯元温泉に一泊した。そして翌朝其處を立つて戰場ヶ原の方へ出やうとして不圖《ふと》[#「不圖《ふと》」は底本では「不《ふ》圖」]振返ると、昨日自分等の休んだ峠からやゝ南寄りに聳えて居る尾根つゞきの白根山には昨日のうちに早やしら/″\と雪の來てゐるのを見た。

 それは樹木の場合である。さうした山國の山の奧で人間たちの營んで居る生活に就いても同じ樣な感慨を覺えたことがある。それは畑ともつかぬ山畑に
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