は汽車が轉覆して何百人かの死人が出たさうだ、などと入江向うの新聞が異常な緊張を以て口から口に傳へられた。其處へ誰から渡されたとも氣のつかぬ手紙が私の手に渡された。大悟法利雄君の手である。胸を躍らせながら封を切つた。
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ひどい地震でしたネ、先生大丈夫ですか。こちらは唯だ壁と屋根瓦が落ちたゞけで皆無事ですから御安心下さい。
引き續いて來た三つの大震動がいまやつと鎭まつたところ、先生が心配していらつしやるだらうと思ふので取敢へずこれだけを書いて船に驅けつけます。
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と簡單だが、これだけ讀んで私はほつとして安心した。そしてよくこそ取込んだ間にこれだけでも知らして呉れたと大悟法君に感謝し、船の人たちにも感謝した。
いそ/\と宿へ歸らうとすると、其處の道ばたに一人の少年が坐つてゐる。見れば見知合の郵便配達夫で、顏色が眞蒼だ。
『どうした、おなかでも痛いか。』
と訊くと、自分の頭を指ざす。
幸ひその側に醫者の家があるので其處へ連れて行つた。
『ア、腦貧血ですよ、これは!』
と言つたきり、藥の事をば何とも言はず、そゝくさと何處かへ出て行つた。お醫者樣ひどく惶てゝゐるのである。
止むなく私は宿に少年を連れて歸つた。そして縁側に寢かし、仁丹など飮ませて靜かにさせながら、やがて訊いて見ると、これから二里ほど岬の方に離れて江梨といふ漁村がある、其處まで配達に行つて歸つて來る山の中で例の『ドシン!』に出合つたのださうだ。山の根に沿うた路のことで大小雜多な石ころが、がら/\と落ちて來る、人家はなし、走らうにも足がきかず、漸く此處まで出て來たらもう立つて居る事も出來なくなつたのださうだ。
夕方まで寢てゐると、顏色も直つて、笑ひながら歸つて行つた。
『サテ、慓へてばかりゐても爲樣がない、一杯元氣をつけませうか。』
さう言ひながら私は二階に酒の壜をとりに上つて行つた。そして、思はず立ち止りながら大きな聲で笑ひ出した。倒れも倒れたり、一升壜が三本麥酒壜が三本――これらは皆カラであつた――ウヰスキイ(一本はカラ)二本が、全部横倒しになつて部屋のそちこちに泳ぎ出して來てゐるのだ。時ならぬ笑聲に驚いて宿の亭主も上つて來た。そして一緒に笑ひ出した。
『一本取つて來ませう。』
『然し、店は戸をしめてましたよ。』
『なアに、こぢあけて取つて來ますよ。』
村はほんとにノンキであつた。果して一升壜を提げて、なほ罐詰をも持つて、人の子一人ゐない部落の方から亭主は歸つて來た。『先生、惜しいことをしましたよ。店では實のある奴が二三本ぶつ壞れて酒の津浪でしたよ。』
庭の一隅に板を並べ茣蓙《ござ》を敷き、其處を夕餉の席とした。生方君と今一人、二三日前から泊り合せてゐる眞田紐行商人の老爺との三人が半裸體になりながら冷酒のコツプを取つた。其處へ消防が來、青年團の人たちが見舞にやつて來た。その間にも、ヅシン、ヅシンと二三度搖つて來た。海は然し却つて不氣味な位ゐに凪いでゐた。そしてまた何といふ富士山の冴えた姿であつたらう。
雲一つない海上の大空にはかすかに夕燒のいろが漂うてゐた。そしてその奧には澄み切つた藍色がゆたかに滿ち渡つてゐる。其處へなほ一層の濃藍色でくつきりと浮き出てゐるのが富士山であるのだ。
『斯んな綺麗な富士をば近來見ませんでしたねヱ、何だか氣味の惡い位ゐに冴えてるぢアありませんか。』
暫くもそれから眼を離せない氣持で私は言つた。
やがて四邊《あたり》が暗くなつた。暮れた入江の丁度眞向う、山の端の空が、半圓形を描いてうす赤く染つて見えた。
『火事だナ、三島には遠いし、何處でせう。』
『小田原見當ですネ。』
『箱根の山でも噴火したではないでせうか。』
噴火ならば爆音がある筈である。火事とするととても小さなものではない。
『今夜の十二時に氣をつけろつてのは本當でせうか、どうしてさういふ事が解るでせう。』
『中央氣象臺からでも何か言って來たのでせう。』
『電報がきくか知ら。』
戸外に寢るには私は風邪が恐かつた。で、縁側に床を伸べて横になつた。ツイ鼻さきの前栽には鈴蟲が一疋、夜どほしよく徹る聲で鳴いてゐた。
夜警の人が折々中庭に入つて來た。
九月二日早朝、出澁る壯快丸を村中して促して沼津に向つた。乘船した人の過半は沼津の病院に病人を置いてゐる人たちであつた。
壯快丸から降りると私はすぐ俥を呼んだ。町中すべて道路に疊を敷いて坐つてゐた。一月ほど見なかつたこの町の眼前の光景が一層私には刺戟強く映つた。
『オ、今、お歸りですか。』
と聲をかくる知人もあつた。
香貫の自宅近くの田圃中の畦道には附近の百姓たちが一列に蓆を敷き、布團を敷いて集つてゐた。
私の姿を見るや否や、
『ア、けえつて來た/\。』
と誰となく
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