さゝやく聲が聞えた。笑顏の二三人は立ち上つて頭をさげた。
 門を入らうとすると、青い蚊帳が見えた。門から中門までの砂利の上、松や楓の木の間に三つ吊つてあるのだ。夜具が見え、ぬぎすてた着物が木の枝にかけてあつた。
『やア、とうさんだ/\、かアさアん、とうさんが歸つて來たよウ!』
 忽ち湧き起る四人の子供たちの叫びが私を包んだ。
 思ひがけぬ綿引蒼梧和尚の大きな圖體がのつそりと半吊りの蚊帳から表はれた。
『やア、君が來てゐたのか!』
『ウン、一昨日來てひどい目にあつたよ。』
『さうか、それはよかつた。』
 星君も日疋君も出て來た。彼等の下宿してゐる龜谷さん一家が私の宅に逃げて來て一緒に蚊帳を並べたのださうだ。大悟法君は壁の落ちた玄關から出て來た。
 臨時の炊事場が裏庭に出來てゐた。頬かむりの妻がほてつた顏をして其處から來た。
『ヤアとうさんだ/\、うれしいな/\。』
 子供の叫びはなか/\に止まなかつた。

 三日には雨が來た。しかも強い吹き降りであつた。うろたへて庭のものを取り込んでゐる一方では室内にぽと/\といふ雨漏りの音が聞え初めた。もと/\舊い家で、少し降りが強いと必ず漏るには漏つたが、それは場所がきまつてゐた。今度もツイその氣でゐると、座敷が漏る、茶の間が漏る、玄關、奧座敷、二階などは天井の板の目に列をつらねて落ちてゐる。噐具を片寄せる。疊をあげる。不圖《ふと》氣がついて一つの押入をあけて見ると其處の布團はぐつしよりだ。周章《うろた》へて他のをあけて見ると其處も同斷である。臺所、便所にまでポチ/\と音が聞えだした。僅かに離室とそれに隣つた湯殿とだけが無事だ。湯殿は早速物置になつた。
 其處へ例の「風説」がやつて來た。今夜から土地の青年團が夜警をするから、庭の木戸など一切締めずに彼等の通行に自由ならしめて貰ひ度い、と達して來た。
『恐いなア、おとうさん、どうしませう。』
 子供たちは眞實顏色を變へてゐる。
 四日の夜なかであつた、たゞならぬ聲で私を呼ぶ者がある、一人ならぬ聲だ。三日の雨から庭に寢るのをよした代りに、雨戸はすべてあけ放つてあるので、早速私はその聲の方へ出て行つた。
 見ると五六人の青年が一人の男の兩手をとり、肩を捉へて居る。呆氣にとられてよく見ると、捕へられてゐる男は古宇で別れて來た、生方君であつた。急に私の方に來たくなり、夜みちをしてやつて來る途
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