はあるが洋式の三津ホテルといふもある。三津のまん前には淡島《あはしま》といふ小さな尖つた島があつて、その島のなゝめ横に例の富士山が海を前にして仰がるゝ。其處より背後の岡を越えて一里歩くと長岡温泉がある。三津に斯うした土地不似合の料理屋宿屋のあるのは單に景色がいゝといふばかりでなく、一つはこの長岡温泉があるためである。
この三津まで、沼津の御成橋の下から午前午後の二囘乘合の發動機船が出る。狩野川の川口を出るとすぐ左折して蠶の這つた樣な牛臥山を左に、靜浦の御用邸附近の深い松原を見て江の浦に入り、附近の山蔭に介在してゐる小さな舟着場二三箇所に寄つて三津で終るのである。航程約一時間半、舟賃二十五錢、最も簡易な入江見物が出來るわけである。
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冬田中あらはに白き道ゆけばゆくての濱にあがる浪見ゆ(五首静浦附近)
田につづく濱松原のまばらなる松のならびは冬さびて見ゆ
桃畑を庭としつづく海人《あま》が村冬枯れはてて浪ただきこゆ
門ごとにだいだい熟れし海人が家の背戸にましろき冬の浪かな
冬さびし靜浦の濱にうち出でて仰げる富士は眞白妙なり
うねり合ふ浪相打てる冬の日の入江のうへの富士の高山(二首静浦より三津へ)
浪の穗や音に出でつつ冬の海のうねりに乘りて散りて眞白き
舟ひとつありて漕ぐ見ゆ松山のこなたの入江藍の深きに(四首江の浦)
奥ひろき入江に寄する夕潮はながれさびしき瀬をなせるなり
大船の蔭にならびてとまりせる小舟小舟に夕げむり立つ
砂の上にならび靜けき冬の濱の釣舟どちは寂びて眞白き
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富士川の鐵橋を過ぎて岩淵蒲原由比の海岸、興津の清見寺、さらに江尻から降りて三保の松原に到るあたりのことを書くべきであらうが、蒲原由比は東海道線を通るひとの誰人もがよく知つてゐる處であらうし、三保にもさほど私は興味を持たぬ。海も松原も割合に淺くきたなく、唯だ羽衣の傳説と三保と呼ぶ名稱の持つ優美感とが一つの美しい幻影を作りなしてゐる傾きが無いではない。
松原ならば私は沼津の千本松原をとる。公園になつてゐるあたりはつまらないが、其處を少し離れて西へ入ると實にいゝ松原となつてゐる。樹がみな古く、且つ磯馴松《そなれまつ》と見えぬ眞直ぐな幹を持ち、一樣に茂つた三四町の廣さを保つてずつと西三里あまり打ち續いて田子の浦に終つてゐるのである。海岸の松原としては全く珍しいと思ふ。昔或る僧侶が幕府に獻言し、枝一本腕一本とかいふ嚴しい法度《はつと》を作り、この松原を育てゝその蔭の田畑の潮煙から蒙むる損害を防いだものであるさうだ。
この松原を詠んだ拙い自分の歌を添へてこの案内記を終る。
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むきむきに枝の伸びつつ先垂りてならびそびゆる老松が群
風の音こもりてふかき松原の老木の松は此處に群れ生《お》ふ
横さまにならびそびゆる直幹の老松が枝は片なびきせり
張り渡す根あがり松の大きなる老いぬる松は低く茂れり
松原の茂みゆ見れば松が枝に木がくり見えて高き富士が嶺
末とほくけぶりわたれる長濱を漕ぎ出づる舟のひとつありけり
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底本:「若山牧水全集 第七卷」雄鷄社
1958(昭和33)年11月30日発行
入力:柴 武志
校正:浅原庸子
2001年6月14日公開
2005年11月16日修正
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