を泊る野のなかの村
草の穗にとまりて啼くよ富士が嶺の裾野の原の夏の雲雀は
雲雀なく聲空に滿ちて富士が嶺に消殘《けのこ》る雪のあはれなるかな
張りわたす富士のなだれのなだらなる野原に散れる夏雲の影
夏雲はまろき環《わ》をなし富士が嶺をゆたかに卷きて眞白なるかも
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 以上、すべてその麓の近い處からのみ仰ぐ富士山を書いて來た。今度は少し離れた位置からの遠望を述べて見よう。富士は意外な遠國からも仰がれて、我知らず驚いた事が屡々あるが、此處には駿河灣一帶の風光の約束のもとに、さまでは離れぬ遠望を書くことにする。
 支那の言葉に、高山に登らざれば高山の高きを知らずといふのがあると聞いた。この言葉の眞實味をばよくあちらこちらの山登りをする時ごとに感じてゐたのであるが、伊豆の天城山《あまぎさん》に登つて富士を仰いだ時、將にそれを感じた。そしてそゞろに詠み出た歌がある。
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たか山に登り仰ぎ見高山の高き知るとふ言《こと》のよろしさ
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 初め私は絶頂近くにあるいふ噴火口あとの八丁池といふを見るがために天城登りを企てたのであつた。そしてせつせと登つてゐるうちに不圖《ふと》うしろを振返つて端なく自分の背後の空に、それこそ中天に浮ぶと云つた形でづばぬけて高く大きく聳えてゐる富士山を見出して、非常に驚いたのであつた。
 ツイ眼下には狩野川の流域である伊豆田方郡の平野があつた。それを取り圍む形でやゝ遠く左寄りに眞城《さなぎ》、達磨《だるま》[#「達磨」は底本では「達摩」]の山脈があり、近く右手に箱根連山があり、その中にも城山、寢釋迦山、鳶の巣山、徳倉山《とくらやま》等の低きが相交はり、ずつと遠くには駿河信濃國境に連亙した赤石山脈が眞白に雪を被つてつらなつてゐた。そして殆んど正面にこれも常よりは高く見ゆる愛鷹山が立ち、それの裾野の流れ落ちた所には駿河灣が輝いてゐた。それらの山や海を前景として、まつたく思ひがけない高い空に白々としてうち聳えてゐたのであつた。
 三保あたりからは前景がうるさくていやだと前に言つたが、この位ゐの大きな前景となると少しも惡くなかつた。前景の大きさが、いよいよ富士の大きさを増した樣にも見えた。これもその時詠んだ數首の歌を引いて當時の自分の驚嘆を現はさうと思ふ。
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わが登る天城の山のう
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