一寸した高みになつてゐた。其處から丘づたひに左は林右は畑といふ處を歩いたのもいゝ氣持であつた。そして此處の丘にはこの邊に珍しい松の木立があつた。ほんのばらばらとした小さなものであつたが、東京の北から東にかけての郊外では全く珍しいものであつた。今は稻荷の側からかけて幾軒かの大きな別莊になつてゐたとおもふ。
 その丘を降りた所に氷川神社といふがあり、神社の境内に小さな茶店などの出てゐる事もあつた。もう少し歩かうとそのまゝ丘に添うて西北へゆく。
 この邊は右に雜木の丘を、左に田圃や畑を見てゆく丘の根の路となつてゐるのだ。(二三年前からこの邊は向う十四五町がほどにずらりと立派な別莊が建ち並んでしまつた。)斯くして歩くことなほ二三十町ほどで中野の藥師さまに着くのであつた。藥師さま附近の一二軒の小料理屋なども鄙《ひな》びていゝものであつた。
 ばら/\松の小さな木立を珍しいと書いたが、東京の西部の郊外にはそれが到る所に茂つてゐた。即ち澁谷、目黒あたりから西へ入り込んだ丘陵の上にだ。
 池袋雜司ヶ谷戸山ヶ原板橋附近の郊外は總じて平地で、其處に茂つてゐるものは櫟《くぬぎ》であつた。そしてその下草には芒が輝いてゐた。が、西の方の目黒附近では丘と窪地との交錯が極めて複雜に相交はり、其處に生えてゐるのは松であり、孟宗竹の藪であつた。無論楢櫟等武藏野らしい雜木もその間に立ち混つてはゐるけれど。
 そしてこちらの郊外の背景をなすものは遠く西の空に浮んでゐる富士山の姿であることを忘れてはならぬ。何處からでも大抵は見えるこの山ではあるが、ことに此處等の赤松林の下蔭、幾つか連つた丘陵の一つのいたゞきから望み見る姿は、たゞの野原であるのより遙かに趣きが深いのだ。
 さう書くと、ほんの赤土の崖の上である樣な東の郊外田端の高みから望む筑波のことをも書かねばならぬ。同じく西の郊外から見る野の末の秩父の連山、よく晴れゝば其處まで見る事の出來る甲州信州上州路かけての遠山の事などをも。



底本:「若山牧水全集 第七卷」雄鷄社
   1958(昭和33)年11月30日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:柴 武志
校正:林 幸雄
2001年6月13日公開
2005年11月16日公開
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