りで、サテ三人して圍爐裡を圍んでゆつくりと飮み始めた。が、矢張り爺さんたちの方が先に醉つて、私は空しく二人の醉ぶりを見て居る樣なことになつた。そして口も利けなくなつた二人の老爺が、よれつもつれつして醉つてゐるのを見てゐると、樂しいとも悲しいとも知れぬ感じが身に湧いて、私はたび/\泣笑ひをしながら調子を合せてゐた。やがて一人は全く醉ひつぶれ、一人は剛情にも是非茶屋まで歸るといふのだが、脚がきかぬので私はそれを肩にして送つて行つた。さうして愈々別れる時、もうこれで旦那とも一生のお別れだらうが、と言はれてたうとう私も涙を落してしまつた。
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その峠茶屋の爺さんが即ち今度金婚式を擧げた粟田翁であるのだ。その時、山から京都に降りると其處の友だちが寄つて私のために宴會を催して呉れた。その席上で私は山の二人の老爺のことを話した。するとその中の二三人が其後山に登つてわざ/\茶屋に寄り、斯く/\であつたさうだナといふ話をした。へええ、さういふ人であつたのかと云つて爺さんひどく驚いたといふことをその人から書いてよこした。それから程なく、古い短册帖に添へて、これは昔から自分の家に傳はつて居るものであるが、中に眼ぼしい人の書いたものが入つてゐはせぬか、どうか見て呉れと云つてよこした。これが粟田淺吉といふ名を知つた初めであつた。
短册帖には三十枚も貼つてあつたが、私などの知つてゐる名はその中にはなかつた。斯ういふことに詳しい友だちにも持つて行つて見て貰つたが、當時の公卿か何かだらうが、名の殘つてゐる人はゐないといふことであつたのでその旨を返事し、なほ自分自身のものを一二枚添へてやつたのであつた。それらのことを、昨日千本濱で京都附近の話の出た時に、その若い坊さんにしたのであつた。其處へこの短册と扇子とが送つて來たのだ。爺さん、まだ頑丈であの山の上の一軒家に寢起きしてゐるのであるかとおもふと、いかにもなつかしい思ひが胸に上つて來た。すると、あの寺男の爺さんはどうしてゐるであらう。
さういふことを考へてゐると、若い坊さんは急に改めて兩手をついた。そして、昨日からのお話で、今度の自分の行爲が餘りに無理であることが解つた、自分の一生の志願を全然やめ樣とは思はぬが、とにかく今の學校だけは卒業して年寄つた父をも安心させます、では早速ですがこれから直ぐお暇します、といふ。さうすると私も妻も、わづか一日のうちに親しくなつてしまつた幼い子供たちも、何だか名殘が惜しまれて、もう二三日遊んで行つたらどうかと、勸めたけれども、學校の方がありますので、と云つて立ち上つた。家内中して門まで送つて出た。帽子もない法衣のうしろ姿を見送りながら私は大きな聲で呼びかけた。
『歸つたら早速比叡に登つて見給へ、さうしてお爺さんに逢つてよろしく言つて下さい。』
底本:「若山牧水全集 第七卷」雄鷄社
1958(昭和33)年11月30日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:柴 武志
校正:林 幸雄
2001年6月13日公開
2005年11月16日修正
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