しい制限の無い者にのみ與へられた餘徳であるか知れぬ。雨、雪など、庭の草木をうるほしてゐる朝はひとしほである。
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時をおき老樹《おいき》のしづく落つるごと靜けき酒は朝にこそあれ
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 普通は晩酌を稱ふるが、これはともすれば習慣的になりがちで、味は薄い。私は寧ろ深夜の獨酌を愛する。
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ひしと戸をさし固むべき時の來て夜半を樂しくとりいだす酒
夜爲事の後の机に置きて酌ぐウヰスキーのコプに蚊を入るるなかれ
疲れ果て眠りかねつつ夜半に酌ぐこのウヰスキーは鼻を燒くなり
鐵瓶のふちに枕しねむたげに徳利かたむくいざわれも寢む

醉ひ果てては世に憎きもの一もなしほとほと我もまたありやなし
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 一刻も自分を忘るゝ事の出來ぬ自己主義の、延《ひ》いて其處から出た現實主義物質主義に凝り固まつてゐる阿米利加に禁酒令の布《し》かれたは故ある哉である。

 洋酒日本酒、とり/″\に味を持つて居るが、本統におちついて飮むには日本酒がよい。

 サテ、此處まで書いて來るともう與へられた行數が盡きた。
 初め、酒の讚を書けといふ手紙を見た時、我知らず私は苦笑した。なぜ苦笑したか。
 要するに私など、自分の好むものにいつ知らず救はれ難く溺れてゐた觀がある。朝飯晝飯の膳にウヰスキーかビールを、夕飯の膳にはまた改めていはゆる晩酌を、といふ風に酒びたりになつてゐる者に果して眞實の酒の讚が書けるものだらうか。

 いま一つ苦笑して苦笑の歌數首を書きつけこの稿を終る。
 その一。
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一杯を思ひきりかねし酒ゆゑにけふも朝より醉ひ暮したり
なにものにか媚びてをらねばならぬ如き寂しさ故に飮めるならじか
醉ひぬればさめゆく時の寂しさに追はれ追はれて飮めるならじか
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 その二。これは五六年前、腎臟を病み醫者より絶對の禁酒を命ぜられた時の作。
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酒やめてかはりに何か樂しめといふ醫者が面《つら》に鼻あぐらかけり
彼しかもいのち惜しきかかしこみて酒をやめむと下思ふらしき
癖にこそ酒は飮むなれこの癖とやめむ易しと妻宣らすなり
宣りたまふ御言《みこと》かしこしさもあれとやめむとは思へ酒やめがたし
酒やめむそれはともあれ永き日のゆふぐれごろにならば何とせむ
朝酒はやめむ晝酒せんもなし
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