すだに醉ふ樣な心地がする。
また、新藥師寺唐招提寺の古い御寺をたづね歩いて、過ぎ去り過ぎゆく『時』のかをりに身を沈め、奈良の春日の森の若葉の中に入り行く心を誰に告げやう。鹿の子の群れあそぶ廣い/\馬醉木《あしび》の原は漸くあの可憐な白い花に別れやうとする頃である。若草山のみどりは漸く深く、札所九番の南圓堂の鐘の音に三笠山の峯越しの雲の輝きこもる頃である。
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吾子《あこ》つれて來べかりしものを春日野に鹿の群れをる見ればくやしき
葉を喰《は》めば馬も醉ふとふ春日野の馬醉木《あしび》が原の春すぎにけり
奈良見人つらつら續け春日野の馬醉木が原に寢てをれば見ゆ
つばらかに木影うつれる春日野の五月の原をゆけば鹿鳴く
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思ひ起し、書きつらねて行けばまことに際がない。
私のこの文章を書いてゐるのもまた旅さきに於てである。伊豆天城山の北の麓、狩野川の上流に當る湯ヶ島温泉にもう十日ほど前から來てゐるのだ。來た頃に咲きそめた山ざくらは既に名殘なく散つて、宿の庭さきを流るゝ溪川に鳴く河鹿の聲が日ましに冴えてゆく。晴れた日に川原に落つる湯瀧に肩を打たせながら見るとなく、仰ぎ見る山の上の雲の輝きは何と云つてももう夏である。
彼處か此處か、行つて見度いところを心に描いてゐると、なか/\斯うぢつとしてゐられない氣持である。旅にゐてなほ旅を思ふ、自づと苦笑せずにはゐられない。(四月十一日、湯ヶ島湯本館にて)
底本:「若山牧水全集 第七卷」雄鷄社
1958(昭和33)年11月30日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:柴 武志
校正:林 幸雄
2001年9月7日公開
2005年11月10日修正
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