とつ海を越えて見た富士を記してこの文を終る。これは曾て伊豆の西海岸をぼつ/\と歩いて通つた紀行の中から拔いたものである。
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 今度は獨りだけに荷物とてもなく、極めて暢氣《のんき》に登つて行くとやがて峠に出た。何といふことはなく其處に立つて振返つた時、また私は優れた富士の景色を見た。いま自分の登つて來た樣な雜木林が海岸沿に幾つとなく起伏しながら連つてゐる。その芝山のつらなりの間に、遙かな末に、例のごとく端然とほの白く聳えてゐるのである。海岸の屈折が深いから無數の芝山の間には無論幾つかの入江があるに相違ない。その汐煙が山から山を一面にぼかして、輝やかに照り渡つた日光のもとに何とも云へぬ寂しい景色を作つてゐるのである。現にいま老人と通つて來た阿良里《あらり》と田子との間に深く喰ひ込んだ入江などは眼の醒むる樣な濃い藍を湛へて低い山と山との間に靜かに横はつて見えて居る。磯には雪の樣な浪の動いてゐるのも見ゆる。私は其儘其處の木の根につくねんと坐り込んで、いつまでも/\この明るくはあるが、大きくはあるが、何とも云へぬ寂びを含んだながめに眺め入つた。富士の景色で私の記憶を去らぬのが今までに二つ三つあつた。一つは信州淺間の頂上から東明の雲の海の上に遙かに望んだ時、一つは上總の海岸から、恐ろしい木枯が急に吹きやんだ後の深い朱色の夕燒けの空に眺めた時、その他あれこれ。今日の船の上の富士もよかつた。然しそれにもまして私はこの芝山の間に望んだ寂しい姿をいつまでもよう忘れないだらうと思ふ。
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 この中に「信州淺間の頂上から云々」とある。その廣々とした雲海の上に聳えて私の眼についた二つの山があつた。一つは富士、これはその特殊の形からすぐ解つた。今一つは細く鋭く尖つた嶺の上にかすかに白い煙をあげた飛騨《ひだ》の燒嶽であつた。
 その燒嶽に昨年の秋十月、普通の登山者の絶え果てた時に私は登つて行つた。よく晴れた日で、濛々と煙を噴きあげてゐるその頂に立つて見てゐると、西に、北に、南に、東に、實に無數の高い山がうす紫の秋霞の靡いた上にとび/\に見渡された。その中に矢張りきつぱりと一目にわかる富士の山が遙かの/\東の空に望まれたのであつた。



底本:「若山牧水全集 第七卷」雄鷄社
   1958(昭和33)年11月30日発行
入力:柴武志
校正:浅原庸子
2001年5月3日公開
2005年11月9日修正
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