その松原の蔭の小さな可愛らしい家には一人二人と大工や左官たちが呑氣《のんき》さうに出入りしてゐるのみであつた。
壁位ゐは引越してから塗らしてはどうです、といふやうな亂暴を例の差配の爺さんは言ひ出した。よく/\腹に据ゑかねたが、要するに喧嘩にもならなかつた。そして改めて新しい家の方をせきたてて、この八月の九日の朝、いよ/\引越す事にきめた。業腹《ごふはら》ながら爺さんの言葉通りに、荒壁の上塗だけは越してから塗ることにして、九日曉荷物を運び込む故、疊だけは必ず敷いておいて呉れ、と固くも頼んで、看護の片手間にこそ/\と荷造りにかゝつた。醫者は子供を氣遣うて、もともと絶對安靜を要する病氣なのだから出來得る限り、動かす事を延ばさぬかと言うて呉れたが、どうもさうして居られない状態にあつた。
九日早曉、手傳の人と共に先づ二臺だけの荷馬車を新しい家の方へ差立てた。そしてそれの引返して來る間に私は俥で近所の挨拶※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]りに出た。引返して來た荷馬車屋は、行つてみた所まだ一枚の疊も敷いてなく、荷物の置場所に困つたがとりあへず庭先に置いて來たと云ふ。まだ歸さずにおいた俥に乘り、私は新しい家に駈けつけて、せめて病人を寢せる部屋だけでいゝから早速疊を入れて呉れる樣にと頼んでまた舊い方の家に引返し、やがて階下の六疊と八疊とに疊が入つたといふ報告を聞いて後、妻と共に病兒の俥につき添うて、五年間住んで來た古びた大きな邸の門を出た。
斯うして苦勞して入つた今度の家は、六疊の茶の間八疊の座敷に、中二階の樣になつた西洋まがひの六疊の部屋があり、他に玄關女中部屋湯殿が附いてゐて、いかにも小ぢんまりした、新婚の夫婦などには持つて來いの家である。が、九人家内の我等には相應すべくもない。越して來て今日で丁度十日目だが、まだ荷物も片付かず、新しい家に落ち着いたといふ喜びも安心も更に心の中に生れて來てゐない。
唯だ難有《ありがた》いのは、ツイ裏手に千本松原のある事と、自分の書齋にあてゝゐる中二階から幾つかの山を望み得る事とである。書齋は東と北とに窓があいてゐる。東の窓からは近く香貫《かぬき》徳倉《とくら》の小山が見え、やゝ遠く箱根の圓々しい草山から足柄《あしがら》の尖つた峰が望まるゝ。北の窓からは愛鷹山《あしたかやま》を前に置いた富士山が仰がるゝ。
が、それらの山よりも松原よりも、此頃最も私の眼を惹《ひ》いてゐるのは、その松原に入らうとする手前に、丁度松原に沿うた形で水田と畑とを限つた樣にして續いてゐる畔に長々と植ゑられた木槿《もくげ》の木である。
むらさき色の鮮かな花といへばいかにも艷々しく派手に聞ゆるが、不思議とこの木槿の花に限つてさうでない。さうでないばかりかその反對に、見れば見るほど靜かな寂しさを宿して咲いてゐる花である。この花の咲き出す頃になると思ひ出される例の芭蕉の句の、
[#天から3字下げ]道ばたの木槿は馬に喰はれけり
は如何にもよくこの花の寂しさを詠んでゐるが、なほそれでも言ひ足りないほどに今年などはこの花に對して微妙な複雜な心持を感じたのであつた。この芭蕉の句も彼が旅行の途次、富士川のあたりを過ぎつゝ馬上で吟じたものであるといふが、この花は不思議にまた我等に『旅』の思ひをそゝる。この花を見るごとに、秋を感じ、旅をおもふ。何物にともなく始終追はれ續けてゐる樣な、おちつかぬ心を持つた私にとつては殊更にもこの花がなつかしいのかも知れぬともおもふ。
底本:「若山牧水全集 第七卷」雄鷄社
1958(昭和33)年11月30日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:柴武志
校正:浅原庸子
2001年4月16日公開
2005年11月9日修正
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