と東京にゐた時と同じ樣な環境が自分の身體のめぐりに出來て來た。東京にゐた時とは違つた交際がまた此處でも始められた。東京では廣くはあつたが多く書生づきあひの簡單なものであつた。それが土地の狹いこの沼津となると、なまじひに世間的になつてゐる自分の名前のために、一種形式的な窮屈ないはゆる社會的交際をせねばならぬ場合が多くなつて來た。自分の最も恐れてゐた飮友達も、いつ出來るともなく出來て來た。斯くて初めに願つてゐた隱栖《いんせい》といふ生活とは違つた朝夕がいつともなしに送らるゝ樣になつてゐたのだ。それでもまだ/\東京よりましだと信じてゐた。イヤ現にさう信じてゐるのではある。
 初めに老醫師の世話で借りた家は、戸じまりも充分に出來兼ぬるほど荒れ古びた家で、しかも間取も甚だ拙く、うまく使へる部屋とても無かつたが、とにかく部屋の數は九つあつた。書生や女中や家族たちをそれ/″\に配置して、まだ來客に備ふる一室位はどうやら殘つてゐた。家の古いこと、町から遠くて不便なこと(これも最初はさうでなかつたのだが、生活の間口が廣くなるにつれて次第に不便を感じて來た。)家の前後から襲うて來る田畑の肥料の臭氣、其他あれこれのことをば我慢しても、出來ることなら此儘《このまま》此處にぢいつと暮して行かうと思つてゐたのであつたが、さう出來ぬ事情になつた。
 表面の理由は他にあつたが、要するに差配の爺さんの我慾と狡猾とに我等は追はれたのであつた。なほ詮じてゆくと、其處にはその爺さんと私の妻との感情問題も遠い因をなしてゐた。第一印象としての彼女の彼に對する不快は年ごとに深くなつて、事ごとに眼に見えぬ衝突が兩人の間に行はれてゐたのであつた。
 今年四月末、二ヶ月もかゝつた中國九州地方の長旅行から歸つて來て見ると、四圍の事情は私の留守の間に急變してゐて、どうでも差迫つた時間内にその家をあけ渡さねばならなくなつてゐた。喧嘩腰になつてかゝればさう周章《うろた》へる必要もなかつたのだが、それはこちらの氣持が許さなかつた。喧嘩どころか、もうさうなると一刻も速くこちらから逃げ出したい氣がいつぱいになつてゐるのであつた。で、苦笑しながら私は早速に空家さがしを始めた。東京へ引揚ぐるのはもともといやだし、他の土地へ移るといふも億劫《おくくふ》だし、矢張り沼津を――私が越して來てゐるうちに沼津町から沼津市に變つてゐた――中心とし
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