る航路標的所何とかいふ、つまり燈臺守の學校であつた。六ヶ月間の學期を無事に終へて、初めて任命されて勤めたのが、この神子《みこ》元島《もとじま》燈臺であつた。そしてかれこれ一年あまりもたつたであらうか、漸く自分も從來の放浪生活の非をしみ/″\覺つて、今後眞面目にこの燈臺守の靜かな朝夕の裡に一生を終へようと思ふ樣になつた、さう決心すると同時に郷里に歸つて妻をも貰つて來た、この心境の一轉を見るために一度この島に遊びに來ないか、といふ風の手紙を二三度も私の所によこしてゐたのであつた。
 彼ほど徹底してはゐなかつたが、私もまた彼のいふ放浪生活の徒の一人であつた。學校を出て、一箇所二箇所と新聞社にも出て見たが、何處でも半年とはよう勤めなかつた。轉じて雜誌記者となつたが、これも三四ヶ月でやめてしまつた。自分等の流派の歌の雜誌を自分の手で出して見たが、初めは面白くやつてゐても直ぐ飽きが來た。さうかうしてゐるうちにいつか自分もひとの夫となり親となつてゐた。さうしてその日の米鹽すら充分でない樣な朝夕をずつと數年來續けて來てゐたのである。さういふ場合だつたので、今まではさういふ島があるといふ事すら知らなかつたこの島からの友人のたよりは、割合深く私の心にしみたのであつた。そして、終《つひ》に其處に出かける氣になつた。
 秋のダリヤの盛りの頃であつた。一本の木草すら無いといふその島には恰好《かつこう》の土産であらうと私はそれを澤山買つて行つた。先づ靈岸島から汽船で下田まで行き、其處で彼も吾も好物の酒を買つて第二の手土産とした。下田から一週間おきに燈臺通ひの船が出ることになってをり、その船で水から米、其他燈臺守たちの必需品を運ぶのであった。前に友人からよく樣子を知らして來てあつたので、都合よくそれに便船する事が出來た。下田を出ると、船は忽ち烈しい波浪の中に入つた。何處でも岬のはなの浪は荒いものであるが、其處の伊豆半島のとつぱなは別してもひどかつた。それは單に岬だけの端といふでなく、其處には無數の岩礁が海の中に散らばつてゐた。形を露はしたものもあり、僅かに其處だけに渦卷く浪によつて隱れた岩のあるのを知る所もあつた。それらの岩から岩の間にかもされた波浪は、見ごとでもあり凄くもあつた。船には大勢の船頭が乘り込んでゐた。
 多分今日の船で來るであらうと、友人は朝から雙眼鏡を持つて岩の頭に立つてゐたのだ
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