學校にゆくやうな風をして宿を出ること。そして、郷里には歸らず、一直線に細島港に向つて走ること、その他でありました。當時わたしの預けられてゐましたのは評判のやかまし屋の士族の家でありましたので、正直に打ちあけて願つた所で、とても許される筈はない。許されるどころか、拳固の二つ三つは當然覺悟しなくてはならない。書置に詳しく書いておいて、逃げ出すが一番安全の策だといふことに、決つたのです。
 事はすべて計畫どほりに運ばれました。延岡から細島港まで六里あります。その間をわたしは殆んど走りづめに走りました。さう急ぐことはないのだが、脚がひとりでに走つてゐるのです。しかも、細島に近づいた所では大膽にも山越の近道をやりました。山に入つて近所に人のゐなくなつたのを知るや否や、わたしは泣きながら走りました。初めはしく/\と泣き、後には大聲をあげて泣きました。何故、泣いたか、わたしにもよく解りません。諸君の御推察にまかせます。
 細島港の日高屋は、船問屋に旅館業其他を兼ねた大きな家でありました。わたしのその家に入つたのは初めてゞしたが、わたしの家とは舊《ふる》くからの知合で、この家の人でわたしを知つてゐるのが二三人ありました。で、たいへん都合よく、十一歳の少年は一人前の旅客として、ある一室に通されました。そして、胸を躍らせつゞけに、その日の夕方を待つことになりました。
 その日の夕方、豫定どほりに母と都農《つの》の義兄とは馬車でその宿にやつて來ました。都農の義兄といふのは都農といふ町で肥料雜穀商を營んでをり、その處へわたしの一番上の姉が嫁いでゐました。
 思ひもかけぬわたしの顏をその宿屋で見出した母の驚きは、これはもう言葉の外でありました。驚き、怒り、且つ嘆き、これからすぐ夜道をして延岡へ歸れ、自分も送つて行くといふのです。流石に、わたしも迷ひが覺めて、それではこれから夜道を踏んでまた六里を走らうと思ひ出しました。ところが都農の兄といふのが田舍者としては、割に手廣く商賣をしてゐますだけに度胸も大きく、わたしの今度の企てた亂暴にひどく興味を覺えたと見えて、わたしに味方し、しきりに母にとりなして呉れました。
 また折々商用でわたしの村に來て、わたしの家に泊つたりしてわたしを可愛がつて呉れてゐた日高屋の番頭の庄さんといふのも、わたしに代つて詫びつ頼みつして呉れましたので、終《つひ》には母の怒も
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