す。武ちやんはいま東京驛前の大きなビルヂングに事務所をおいて、立派な建築技師になつてゐます。
 ほんたうによく晴れた春の日で、日向《ひうが》はごぞんじのとほり暖い國ですから、三月の中旬といふと、もう多分櫻の花なども咲きかけてゐたでありませう。雪雀も囀つてゐたに相違ありません。
 西南戰爭で有名な可愛嶽《えのたけ》は東に、北から西にかけては行騰《むかばき》山速日峰といふ大きな山々が屏風のやうに延岡平野をとりかこみ、平野のなかをば大瀬五個瀬の大きな河が流るゝともなく流れてをり、やがてその二つの河が相合して流れ落つる南のかたには、縹渺として限りのない日向洋《ひうがなだ》が、太平洋がうち開けてゐるのです。
 そして、すべてが霞んでゐました。野も霞み、河も霞み、山も霞み、海もまたよく凪いで夢のやうに霞んでをりました。眼下の延岡町も麗らかな日光を受けながらも、ほのかに霞んでをりました。
 どんなことを二人して話してゐましたか、多分試驗のこと、試驗休みに歸つてゆく郷里のことなどを話してゐたでありませう。武ちやんもわたしも、その延岡町から十里ほど引つ込んだ山奧の村からでてきて延岡高等小學校に遊學してゐたのです。武ちやんの村も、わたしの村も寂しい村で尋常小學校ばかりしか無かつたのです。いろ/\の話にも倦んだころ、ふつと武ちやんがいひました。
『繁《しげ》ちやん/\。ありう見ね。汽船が通つちよるよ』
 今では若山牧水などとむづかしい名をつけてゐますが、その頃は若山の繁ちやんであつたのです。なるほど、眞向うの海の片つ方の岬の端から、一艘の汽船が煙をあげてでてきました。
『ウム、大けな汽船《ふね》ぢやごたるネ』
 その頃の日向は、ほんたうにまだ開けてゐなかつたものですから、汽車は全然通じてゐず、港から港へ寄る汽船の數も、極く少なかつたのです。で、汽船を見ることがまだ珍しうございました。
 その汽船を眺めてゐるうちに、ふと、ある一つの聯想がわたしの頭に浮びました。そして、そのことを武ちやんに話しました。
 話とはかうなのです。ツイ一兩日前に、郷里の母親からわたしに手紙が來て、今度急に思ひたつて都農《つの》の義兄と一緒に讚岐《さぬき》の金比羅《こんぴら》さまにお參りする。そして、そのついでに大阪見物をもして來る、歸りには何かお土産を買つて來るがお前は何がほしいか、こちらあてに返事を出したのでは
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