四里近い長さを持つた松原である。この松原の他と違つてゐるのはその下草に種々の雜木が繁茂してゐる事である。松は多く二抱へ三抱への大きさで聳え立ち、その枝や幹の下蔭に實にいろいろな木が茂つてゐるのである。で、海岸の松原とはいふものゝ、中に入つてしまへばいかにも奧深い森林らしい感じがする。その雜木のなかにわたしは※[#「木+怱」、第3水準1−85−87]《たら》を見付けて喜んだ。
※[#「木+怱」、第3水準1−85−87]《たら》の芽はうまい。これも季節の味で、その頃になれば自づと思ひ出さるゝ。そしてなか/\手に入らぬものゝ一つである。この木は竿の樣な幹で、幹にとげを持つて居る。そして芽は幹の尖端に生ずる。枝を持つたのもあるが、先づ幹だけの一本立が多い。何しろとげだらけの幹を撓《たわ》めて摘むので、なかなか骨が折れる。そしてその芽のやゝ伸びて葉の形をなしたものには裏にも表にもまたとげを生じて居る。この木が不思議とこの松原の中に多いのだ。庭さきから林に入つて行けば早や四五本のそれを見るのである。晩酌の前に一寸出かけて摘んで來ることが出來る。但し、番人に見つかればこれは叱られるに相違ない。
※[#「木+怱」、第3水準1−85−87]を探しつゝくさぎの芽をも見付けた。臭木と書くのであらうとおもふが、この木はその葉も枝も臭い。たゞ、若芽のころ摘んで茹《ゆ》づればそのくさみは拔け、齒ざはりのいゝあへものとなるのである。
ともに味噌あへにするのであるが、※[#「木+怱」、第3水準1−85−87]には少し酢を落すもよい。※[#「木+怱」、第3水準1−85−87]の芽の極く若い大きいのだと、紙に包んで水に濕めし、それを熱灰の中に入れてむし燒にするのが一等うまい。獨活《うど》の野生の若いのをもまたさうしてたべる。これは然し、ほんの一つか二つ、初物として見出でた時に用ゐらるゝ料理法でもある。つまり非常に珍重してたぶる謂《いひ》である。
二階などからはわたしの庭とも眺められるその松原にはまた無數の茱萸《ぐみ》の木が繁つてゐる。それこそ丈低い林をなしてゐる所がある。苗代ぐみもあれば秋茱萸もある。苗代茱萸は今が丁度熟れどきである。昨日の朝、濱に出て地曳を見てゐた。そして一緒に網のあがるのを待つてゐた二人の娘がいつか見えなくなつた。程なく歸つて來た彼等はわれ先にと『阿父さん、手をお出しなさい
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