のを、少なからぬ困難の末に發見するであらう。それが即ち法師温泉なのだ。更にまた讀者よ、その少し手前、沼田の方角に近い處に視線を落して來るならば其處に「猿ヶ京村」といふ不思議な名の部落のあるのを見るであらう。私は初め參謀本部のものに據らず他の府縣別の簡單なものを開いて見てこの猿ヶ京村を見出し、サテも斯んな處に村があり、斯んな處にも歌を詠まうと志してゐる人がゐるのかと、少なからず驚嘆したのであつた。先に利根郡に我等の社中の同志が三人ある旨を言つた。その三人の一人は今日一緒に歩かうといふU―君で、他の二人は實にこの猿ヶ京村の人たちであるのである。
 月夜野橋に到る間に私は土地の義民|磔《はりつけ》茂左衞門の話を聞いた。徳川時代寛文年間に沼田の城主眞田伊賀守が異常なる虐政を行つた。領内利根吾妻勢多三郡百七十七箇村に檢地を行ひ、元高三萬石を十四萬四千餘石に改め、川役網役山手役井戸役窓役産毛役等(窓を一つ設くれば即ち課税し、出産すれば課税するの意)の雜役を設け終《つひ》に婚禮にまで税を課すに至つた。納期には各村に代官を派遣し、滯納する者があれば家宅を搜索して農産物の種子まで取上げ、なほ不足ならば人
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