て星野温泉へ行つて泊ることになつた。
この六人になるとみな舊知の仲なので、その夜の酒は非常に賑やかな、而もしみ/″\したものであつた。鯉の鹽燒だの、しめじの汁だの、とろゝ汁だの、何の罐詰だのと、勝手なことを云ひながら夜遲くまで飮み更かした。丁度部屋も離れの一室になつてゐた。折々水を飮むために眼をさまして見ると、頭をつき合はす樣にして寢てゐるめい/\の姿が、醉つた心に涙の滲むほど親しいものに眺められた。
それでも朝はみな早かつた。一浴後、飯の出る迄とて庭さきから續いた岡へ登つて行つた。岡の上の落葉松林の蔭には友人Y―君の畫室があつた。彼は折々東京から此處へ來て製作にかゝるのである。今日は門も窓も閉められて、庭には一面に落葉が散り敷き、それに眞紅な楓の紅葉が混つてゐた。林を過ぐると眞上に淺間山の大きな姿が仰がれた。山にはいま朝日の射して來る處で、豐かな赤茶けた山肌全體がくつきりと冷たい空に浮き出てゐる。煙は極めて僅かに頂上の圓みに凝つてゐた。初めてこの火山を仰ぐM―君の喜びはまた一層であつた。
朝飯の膳に持ち出された酒もかなり永く續いていつか晝近くなつてしまつた。その酒の間に私はいつか今度の旅行計畫を心のうちですつかり變更してしまつてゐた。初め岩村田の歌會に出て直ぐ汽車で高崎まで引返し、其處で東京から一緒に來た兩人に別れて私だけ沼田の方へ入り込む、それから片品川に沿うて下野の方へ越えて行く、とさういふのであつたが、斯うして久しぶりの友だちと逢つて一緒にのんびりした氣持に浸つてゐて見ると、なんだかそれだけでは濟まされなくなつて來た。もう少しゆつくりと其處等の山や谷間を歩き廻りたくなつた。其處で早速頭の中に地圖をひろげて、それからそれへと條《すぢ》をつけて行くうちに、いつか明瞭に噸序がたつて來た。
「よし……」と思はず口に出して、私は新計畫を皆の前に打ちあけた。
「いゝなア!」
と皆が言つた。
「それがいゝでせう、どうせあなただつてもう昔の樣にポイポイ出歩く譯には行くまいから。」
とS―が勿體ぶつて附け加へた。
さうなるともう一つ新しい動議が持ち出された。それならこれから皆していつそ輕井澤まで出掛け、其處の蕎麥屋で改めて別杯を酌んで綺麗に三方に別れ去らうではないか、と。無論それも一議なく可決せられた。
輕井澤の蕎麥屋の四疊半の部屋に六人は二三時間坐り込んでゐた。夕方六時草津鐵道で立つてゆく私を見送らうといふのであつたが、要するにさうして皆ぐづ/\してゐたかつたのだ。土間つゞきのきたない部屋に、もう酒にも倦いてぼんやり坐つてゐると、破障子の間からツイ裏木戸の所に積んである薪が見え、それに夕日が當つてゐる。それを見てゐると私は少しづつ心細くなつて來た。そしてどれもみな疲れた風をして默り込んでゐる顏を見るとなく見廻してゐたが、やがてK―君に聲をかけた。
「ねヱK―君、君一緒に行かないか、今日この汽車で嬬戀《つまこひ》まで行つて、明日川原湯泊り、それから關東耶馬溪に沿うて中之條に下つて、澁川高崎と出ればいゝぢやないか、僅か二日餘分になるだけだ。」
みなK―君の顏を見た。彼は例のとほり靜かな微笑を口と眼に見せて、
「行きませうか。行つてよければ行きます、どうせこれから東京に歸つても何でもないんですから。」
と言つた。まつたくこのうちで毎日の仕事を背負つてゐないのは彼一人であつたのだ。
「いゝなア、羨しいなア。」
とM―君が言つた。
「エライことになつたぞ、然し、行き給い、行つた方がいゝ、この親爺さん一人出してやるのは何だか少し可哀相になつて來た。」
と、N―が醉つた眼を瞑ぢて、頭を振りながら言つた。
小さな車室、疊を二枚長目に敷いた程の車室に我等二人が入つて坐つてゐると、あとの四人もてんでに青い切符を持つて入つて來た。彼等の乘るべき信越線の上りにも下りにもまだ間があるのでその間に舊宿まで見送らうと云ふのだ。感謝しながらざわついてゐると、直ぐ輕井澤舊宿驛に來てしまつた。此處で彼等は降りて行つた。左樣なら、また途中で飮み始めなければいゝがと氣遣はれながら、左樣なら左樣ならと帽子を振つた。小諸の方に行くのは二人づれだからまだいゝが、一人東京へ歸つてゆくM―君には全く氣の毒であつた。
我等の小さな汽車、唯だ二つの車室しか持たぬ小さな汽車はそれからごつとんごつとんと登りにかゝつた。曲りくねつて登つて行く。車の兩側はすべて枯れほうけた芒ばかりだ。そして近所は却つてうす暗く、遠くの麓の方に夕方の微光が眺められた。
疲れと寒さが闇と一緒に深くなつた。登り登つて漸く六里が原の高原にかゝつたと思はれる頃は全く黒白《あやめ》もわからぬ闇となつたのだが、車室には灯を入れぬ、イヤ、一度小さな洋燈《ランプ》を點したには點したが、すぐ風で消えたのだつた
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