「皆目わかっていない。――君には見当がついているかネ」
「さあ、――」と帆村は天井を見上げ、「とにかくわが国の殺人事件に機関銃をぶっぱなしたという例は、極《きわ》めて稀《まれ》ですからネ。これは全然新しい事件です。ともかくも兇器をとこから手に入れたということが分れば、犯人の素性《すじょう》ももっとハッキリすると思いますがネ」
「うん、これはこっちでも考えている。両三日うちに兇器の出所は分るだろう」
 看護婦の君岡が、紅茶をはこんできた。検事は、病院の中で紅茶がのめるなんて思わなかったと、恐悦《きょうえつ》の態《てい》であった。
「――それから検事さん」と帆村は紅茶を一口|啜《すす》らせてもらっていった。「あの大|暖炉《ストーブ》のなかから出てきた屍体のことは分りましたか」
「うん、大体わかった――」
「それはいい。あの焼屍体の性別や年齢はどうでした」
「ああ性別は男子さ。身長が五尺七寸ある。――というから、つまり帆村荘六が屍体になったのだと思えばいい」
「検事さんも、このごろ大分修業して、テキセツな言葉を使いますね」
「いやこれでもまだ迚《とて》も君には敵《かな》わないと思っている。――年齢は不明だ」
「歯から区別がつかなかったんですか」
「自分の歯があれば分るんだが、総入歯なんだ。総入歯の人間だから老人と決めてもよさそうだが、この頃は三十ぐらいで総入歯の人間もあるからネ。現にアメリカでは二十歳になるかならずの映画女優で、歯列びをよく見せるため総入歯にしているのが沢山ある」
「その入歯を作った歯医者を調べてみれば、焼死者の身許が分るでしょうに」
「ところが生憎《あいにく》と、入歯は暖炉のなかで焼け壊れてバラバラになっているのだ」
「頭蓋骨の縫合とか、肋軟骨化骨《ろくなんこつかこつ》の有無とか、焼け残りの皮膚の皺《しわ》などから、年齢が推定できませんか」
「左様、頭蓋骨も肋骨も焼けすぎている上に、硬いものに当ってバラバラに砕けているので、全体についてハッキリ見わけがつかないが、まあ三十歳から五十歳の間の人間であることだけは分る」
「まあ、それだけでも、何かの材料になりますね。――外に、何か屍体に特徴はないのですか」
「それはやっと一つ見つかった」
「ほう、それはどんなものですか」
「それは半焼けになった右足なんだ。その右足は骨の上に、僅かに肉の焼けこげがついているだけで、まるで骨つきの痩せた、鶏の股を炮《あぶ》り焼きにしたようなものだが、それに二つの特徴がついている」
「ほほう、――」
「一つは右足の拇指《おやゆび》がすこし短いのだ。よく見ると、それは破傷風《はしょうふう》かなんかを患って、それで指を半分ほど切断した痕《あと》だと思う」
「なるほど、それはどの位の古さの傷ですか」
「そうだネ、裁判医の鑑定によると、まず二十年は経っているということだ」
「はあ、約二十年前の古傷ですか。なるほど」と帆村は病人であることを忘れたように、ひきしまった語調で呟《つぶや》いた。
「――で、もう一つの傷は?」
「もう一つの傷が、また妙なんだ。そいつは同じ右足の甲の上にある。非常に深い傷で、足の骨に切りこんでいる。もし足の甲の上にたいへんよく切れる鉞《まさかり》を落としたとしたら、あんな傷が出来やしないかと思う。傷跡は癒着《ゆちゃく》しているが、たいへん手当がよかったと見えて、実に見事に癒っている。一旦切れた骨が接合しているところを解剖で発見しなかったら、こうも大変な傷だとは思わなかったろう」
「その第二の傷は、いつ頃できたんでしょう」
「それはずっと近頃できたものらしいんだがハッキリしない。ハッキリしないわけは、手術があまりにうまく行っているからだ。そんなに見事な手術の腕を持っているのは、一体何処の誰だろうというので、問題になっておる」
 検事村松と傷つける青年探偵帆村壮六とが、事件の話に華を咲かせているその最中に、慌《あわ》ただしく受付の看護婦がとびこんできた。
「モシ、地方裁判所の村松さんと仰有《おっしゃ》るのは貴方さまですか」
「ああ、そうですよ。何ですか」
「いま住吉警察署からお電話でございます」
 検事はそのまま席を立って、室外へ出ていった。
 それから五分ほど経って、村松検事は帰ってきた。彼は帆村の顔を見ると、いきなり今の電話の話をした。
「いまネ、鴨下ドクトルの邸に、若い男女が訪ねてきたそうだ。ドクトルの身内のものだといっているが怪しい節《ふし》があるので、保護を加えてあるといっている。ちょっと行って見てくるからネ。いずれ又来るよ」
 そういい置いて、扉の向うに消えてゆく検事の後姿を、帆村は羨《うらや》ましそうに見送っていた。


   蠅男


 時間は、それより一時間ほど前の九時ごろのことだった。
 同じ住吉区《すみよしく》の天下茶屋《てんかぢゃや》三丁目に、ちかごろ近所の人の眼を奪っている分離派風の明るい洋館があった。
 太い御影石《みかげいし》の門柱には、「玉屋」とただ二字だけ彫ったブロンズの標札が埋めこんであったが、これぞいまラジオ受信機の製造で巨万の富を作ったといわれる玉屋総一郎の住宅だった。
 丁度《ちょうど》その九時ごろ、一台の大型の自動車が門内に滑りこんでいった。乗っていたのは、年のころ五十に近い相撲取のように巨大な体躯の持ち主――それこそこの邸の主人、玉屋総一郎その人だった。
 車が玄関に横づけになると、彼はインバネスの襟《えり》をだらしなく開けたまま、えっと懸け声をして下りたった。
「あ、お父つぁん」
 家の中からは、若い女の声がした。しかしこの声は、どうも少し慄《ふる》えているらしい。
「糸子か。すこし気を落ちつけたら、ええやないか」
「落ちつけいうたかて、これが落ちついていられますかいな。とにかく早よどないかしてやないと、うち[#「うち」に傍点]気が変になってしまいますがな」
「なにを云うとるんや。嬰児《ややこ》みたよに、そないにギャアつきなや」
 総一郎はドンドン奥に入っていった。そして二階の自分の書斎の扉を鍵でガチャリと開けて、中へ入っていった。、そこは十五坪ほどある洋風の広間であり、この主人の好みらしい頗《すこぶ》る金の懸った、それでいて一向|垢《あか》ぬけのしない家具調度で飾りたて、床には剥製《はくせい》の虎の皮が三枚も敷いてあり、長椅子にも、熊だの豹だのの皮が、まるで毛皮屋に行ったように並べてあった。
 玉屋総一郎は、大きな机の前にある別製の廻転椅子の上にドッカと腰を下ろした。そして彼は子供のように、その廻転椅子をギイギイいわせて、左右に身体をゆすぶった。それは彼の癖《くせ》だったのである。
「さあ、その――その手紙、ここへ持っといで」
 彼は呶鳴るようにいうと、娘の糸子は細い袂《たもと》の中から一通の黄色い封筒を取りだして、父親の前にさしだした。
「なんや、こんなもんか。――」
 総一郎は、封の切ってある封筒から、折り畳んだ新聞紙をひっぱり出し、それを拡げた。それは新聞紙を半分に切ったものだった。
「なんや、こんなもの。屑新聞やないか」
 彼は新聞をザッと見て、娘の方につきだした。
「新聞は分ってるけど、只の新聞と違うといいましたやろ。よう御覧。赤鉛筆で丸を入れてある文字を拾うてお読みやす」
「なに、この赤鉛筆で丸をつけたある字を拾い読みするのんか」
 総一郎は娘にいわれたとおり、上の方から順序を追って、下の方へだんだんと読んでいった。初めは馬鹿にしたような顔をしていたが、読んでいくにつれてだんだん六ヶ敷《むずかし》い顔になって、顔がカーッと赤くなったと思うと、そのうちに反対にサッと顔面から血が引いて蒼くなっていった。
「そら、どうや。お父つぁんかて、やっぱり愕いてでっしゃろ」
「うむ、こら脅迫状や。二十四時間以ないニ、ナんじの生命《いのち》ヲ取ル。ユイ言状を用意シテ置け。蠅男《はえおとこ》。――へえ、蠅男?」
「蠅男いうたら、お父つぁん、一体誰のことをいうとりまんの」
「そ、そんなこと、俺が知っとるもんか。全然知らんわ」
「お父つぁん。その新聞の中に、蠅の死骸が一匹入っとるの見やはった?」
「うえッ、蠅の死骸――そ、そんなもの見やへんがナ」
「そんなら封筒の中を見てちょうだい。はじめはなア、その『蠅男』とサインの下に、その蠅の死骸が貼りつけてあったんやしイ」
 総一郎は封筒を逆《さか》さにふってみた。すると娘の云ったとおり、机の上にポトンと蠅の死骸が一匹、落ちてきた。それはぺちゃんこになった乾枯《ひから》びた家蠅の死骸だった。そして不思議なことに、翅も六本の足も※[#「てへん+毟」、第4水準2−78−12]《むし》りとられ、そればかりか下腹部が鋭利な刃物でグサリと斜めに切り取られている変な蠅の死骸だった。よくよく見れば、蠅の死骸と分るような、変った蠅の木乃伊《ミイラ》めいたものであった。
 この奇怪な蠅の死骸は、果して何を語るのであろうか。


   籠城《ろうじょう》準備


 ――二十四時間以ないニ、ナんじの生命ヲ取ル。ユイ言状を用意シテ置け。――
 それだけが、活字の上に赤鉛筆で丸が入れてある。
 ――蠅男――
 この二字だけは、不器用なゴム印の文字であって、インキは赤とも黒とも見えぬ妙な色で捺《お》してあった。
 更に、奇怪な翅や脚を※[#「てへん+毟」、第4水準2−78−12]《むし》りとり、下腹部を半分に切ってある蠅の木乃伊《ミイラ》。――
 全く妙な通信文であるが、とにかく脅迫状に違いない。
「お父つぁん。きっと心当りがおますのやろ。隠さんと、うちに聞かせて――」
「阿呆いうな。蠅男――なんて一向知らへんし、第一、お父さんはナ、人様から恨みを受けるようなことはちょっともしたことないわ。ことに殺されるような、そんな仰山な恨みを、誰からも買うてえへんわ」
「本当やな。――本当ならええけれど」
「本当は本当やが、とにかくこれは脅迫状やから、警察へ届けとこう」
「ああ、それがよろしまんな。うち[#「うち」に傍点]電話をかけまひょか」
「電話より、誰かに警察へ持たせてやろう。会社へ電話かけて、庶務の田辺に山ノ井に小松を、すぐ家へこい云うてんか」
 娘の糸子が電話をかけに行っている間に、邸内《ていない》の男たちが呼び集められた。玉屋総一郎は、ともかくも蠅男の襲撃を避けるため、自分の居間に引籠《ひきこも》る決心を定めた。それだからまず外部から蠅男の侵入してくるのを防ぐために、四つの硝子窓を内側から厳重に羽根蒲団とトタン板とでサンドウィッチのように重ねたもので蓋をし、釘づけにした。それでもまだ心配になると見え、窓のところへ、大きな書棚や戸棚をピタリと据えた。
「どうです、旦那はん。これでよろしまっしゃろか」
「うん、まあその辺やな」
「あとは、明《あ》いとるところ云うたら、天井にある空気|孔《あな》だすが、あれはどないしまひょうか」
「あああの空気孔か」と、総一郎は白い天井の隅に、一升|桝《ます》ぐらいの四角な穴が明いている空気抜きを見上げた。そこには天井の方から、重い鋳物《いもの》の格子蓋《こうしぶた》が嵌《は》めてあった。「さあ、まさかあれから大の男が入ってこられへんと思うが、――」
「さようですナ、あの格子の隙から入ってくるものやったら、まあ鼠か蚊か――それから蠅ぐらいなものだっしゃろナ」
「なに、蠅が入ってくる。ブルブルブル。蠅は鬼門《きもん》や。なんでもええ、あの空気孔に下から蓋《ふた》をはめてくれ」
「下から蓋をはめますんで……」
「出来んちゅうのか」
「いえ、まだ出来んいうとりまへん。いま考えます。ええ、こうっと、――」
 下僕《しもべ》たちが脳味噌を絞った挙句《あげく》、その四角な空気孔を、下から厚い紙で三重に目張りをしてしまった。
「さあ、これでもう大丈夫です。こうして置いたら蠅や蚊どころか、空気やって通ることが出来しまへん」
 総一郎は、それでも不安そうに天井を見上げた。
 そのうちに、会社からは田辺課長をはじめ山ノ井、小松などという選《え》りすぐり
前へ 次へ
全26ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング