ようとは、池谷医師も気がつかなかったらしい。
 遊戯室係りの男は、いよいよ喧《やかま》しい音を立てて、一銭活動の函を取外していった。そしてやがて函の中から取出したのは、この一銭活動フィルムであった。
 池谷医師はそのフィルムを受取って大きく肯くと、それを手帛《ハンケチ》に包んでポケットのなかに収めて、そして連れの女を促して、足早に遊戯室を出ていった。
(尾行したものか、どうだろうか?)
 と、そのとき帆村は逡《ためら》った。
 いつもの彼だったら、躊躇《ちゅうちょ》するところなく二人の男女の後を追ったことだろう。でもそのときは、恐ろしい惨劇事件に酷使した頭脳《あたま》を休めるために無理に余裕をこしらえて、この宝塚へ遊びにきていたのだった。そして折角楽しんでいたところへ、妙なことをやっている池谷医師を見たからといって、すぐさま探偵に還らなければならないことはないだろう。それはあまり商売根性が多すぎるというものだ。せめて今日ばかりは「蠅男」事件や探偵業のことは忘れて暮らしたい――と一応は自分の心に云いきかせたけれど、どうも気に入らぬのは池谷医師の行動だった。一銭活動のフィルムを持っていって、どうする気であろう。そして一体彼はどのようなフィルムを外して持っていったのだろう。
「うむ。そうだ。せめて池谷医師が外していったフィルムは何《ど》んなものだったか、それを確かめるだけなら、なにも悪かないだろう」
 帆村は自分の心にそんな風に言訳をして、立っていたところを離れた。
 近づいてみると、係りの男は活動函を元のように締めて立ち上ったところだった。彼は函の前に廻って覗き眼鏡のすぐ傍に挿しこんであった白い細長い紙を外しに懸った。それは函の中の一銭活動の題名を書いてある紙札であった。
「おやッ。――」
 帆村は、なんとはなしにギョッとした。係りの男の外した紙札には、明らかに「人造犬《じんぞうけん》」の三文字が認められてあったではないか。あれほど先刻帆村が面白く見物した「人造犬」の活動写真だったのである。
 係りの男は、帆村の愕きに頓着なく、そのあとへ「空中戦」と認めた紙札を挿しかえた。
 帆村はもう辛抱することができなかった。
「ねえ、おっさん。さっき入っていた『人造犬』の活動は、警察から公開禁止の命令でも出たのかネ」
 遉《さすが》に帆村は、聞きたいことを上手に偽装《カムフラージ
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