やと云うことだす」
「ほう、それはあの家の主人ですか」
「そうだっしゃろな。なんでも元は由緒あるドクトルかなんかやったということだす」
「外に同居人はいないのですか、お手伝いさんとか」
「そんなものは一人も居らへんということだす。尤《もっと》も出入の米屋さんとか酒屋さんとかがおますけれど、家の中のことは、とんと分らへんと云うとります」
「そのドクトルとかいう人物とは顔を合わさないのですか」
「そらもう合わすどころやあれへん。まず注文はすべて電話でしますのや。商人は品物をもっていって、裏口の外から開く押入《おしいれ》のようなところに置いてくるだけや云うてました。するとそこに代金が現金で置いてありますのや。それを黙って拾うてくるんやと、こないな話だすな。そやさかい向うの家の仁《じん》に顔を合わさしまへん」
「ずいぶん変った家ですね。――とにかくこれから一つ行ってみましょう」
そういっているところへ、電話のベルがけたたましく鳴りだした。消防手は素早《すばや》く塔上の小室に飛びこんで、しきりに大声で答えていた。それは同じくこの臭気に関するもののようであった。それは消防手が再び帆村の前に現われたとき明白になった。
「――いま警察から電話が懸《かか》ってきましてん。この怪《け》ったいな臭《かざ》がお前とこから見えてえへんか云う質問だす。こら、なんか間違いごとが起ったんですなア。やあえらいことになりましたなあ」
旅行中の貼り札
帆村はその足で、すぐさま奇人館の前に行った。
なるほど、それは実に奇妙な建物だった。よく病院の標本室に入ると、大きな砂糖|壜《びん》のような硝子《ガラス》器の中に、アルコール漬けになって、心臓や肺臓や、ときとすると子宮《しきゅう》などという臓器が、すっかり色彩というものを失ってしまって、どれを見てもただ灰色の塊《かたまり》でしかないというのが見られる。この奇人館はどこかそのアルコール漬けの臓器に似ていた。
灰色の部厚いコンクリートの塀、そのすぐ後に迫って、膨《ふく》れ上ったような壁体《へきたい》でグルリと囲んだ函のような建物。――それらは幾十年の寒さ暑さに遭《あ》って、壁体の上には稲妻のような罅《ひび》が斜めにながく走り、雨にさんざんにうたれては、一面に世界地図のような汚斑《しみ》がべったりとつき、見るからにゾッとするような陰惨《いん
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