判らないが、不図《ふと》下の部屋がカタカタする音に気がついて例の覗《のぞ》き穴から見下ろすと、この前に来たように一隊の警官隊が集っていた。その中でこの前に見かけなかったような一人のキビキビした背広の男が一同の前になにか云っていた。
「……博士は、絶対に、この部屋から出ていません。私はこの前に一緒に来ればよかったと思います。多分もう手遅れになったような気がします。あの××銀行の、入口の厳重に閉った金庫室へ忍びこんだのもたしかに博士だったのです。そういうと変に思われるでしょうが、実は博士は僅か十五センチの直径の送風パイプの中から、あの部屋に侵入したのです」
「それア理窟に合わないよ、帆村《ほむら》君」と部長らしいのが横合から叫んだ。「あの大きな博士の身体が、あんな細いパイプの中に入るなどと考えるのは、滑稽すぎて言葉がない」
「ではいまその滑稽をお取消し願うために、博士の身体を皆さんの前にお目にかけましょう」
「ナニ博士の在所《ありか》が判っているのか。一体どこに居るのだ」
「この中ですよ」
 帆村は腰を曲げて、足許の壺《つぼ》を指《ゆびさ》した。警官たちは、あまりの馬鹿馬鹿しさに、ドッと声をあげて笑った。
 帆村は別に怒りもせず、壺に手をかけて、逆にしたり、蓋をいじったりしていたが、やがて、恭々《うやうや》しく壺に一礼をすると、手にしていた大きいハンマーで、ポカリと壺の胴中《どうなか》を叩き割った。中からは黄色い枕のようなものがゴロリと転《ころが》り出た。
「これが我が国外科の最高権威、室戸博士の餓死屍体《がししたい》です!」
 あまりのことに、人々は思わず顔を背《そむ》けた。なんという人体だ。顔は一方から殺《そ》いだようになり、肩には僅かに骨の一部が隆起《りゅうき》し、胸は左半分だけ、腹は臍《へそ》の上あたりで切れている。手も足も全く見えない。人形の壊《こわ》れたのにも、こんなにまで無惨《むざん》な姿をしたものは無いだろう。
「みなさん。これは博士の論文にある人間の最小整理形体《さいしょうせいりけいたい》です。つまり二つある肺は一つにし、胃袋は取り去って腸《ちょう》に接ぐという風に、極度の肉体整理を行ったものです。こうすれば、頭脳は普通の人間の二十倍もの働きをすることになるそうで、博士はその研究を自らの肉体に試《こころ》みられたのです」
 人々は唖然《あぜん》として、帆村の話に聞き入った。
「この壺は博士のベッドだったんです。その整理形体に最も適したベッドだったんです。ところで、こんな身体で、どうして博士は往来を闊歩《かっぽ》されたか。いまその手足をごらんに入れましょう」
 帆村は立って、壺の載っていた卓子《テーブル》の上に行った。そして台の中央部をしきりに探していたが、やがて指をもって上からグッと押した。するとギーッという物音がすると思うと、卓子の中からニョキリと二本の腕と二本の脚が飛び出した。それは空間に、博士の両腕と両脚とを形づくってみせた。
「ごらんなさい。あの壺の蓋が明いて、博士の身体がバネ仕掛《じか》けで、この辺の高さまで飛び出して来たとすると、電磁石の働きで、この人造手足がピタリと嵌《はま》るのです。しかしこの動作は、博士が壺の底に明いている穴から、卓子《テーブル》の上の隠し釦《ボタン》を押さねばなりません。押さなければ、この壺の蓋も明きません。博士が餓死をされたのは、睡っているうちにこの壺が卓子《テーブル》の上から下ろされた結果です」
 一座は苦しそうに揺《ゆら》いだ。
「しかし博士は、何かの原因で精神が錯乱せられた。そしてあの兇行《きょうこう》を演じたのです。小さいパイプの中を抜けることは、その手足を一時バラバラに外し、一旦向う側へ抜けた上、また元のように組立てれば、苦もなく出来ることです。それを考えないと、あの金庫の部屋に忍びこんだことが信ぜられない。これで私の説が滑稽でないことがお判りでしょう」
 やがて帆村は一同を促《うなが》して退場をすすめた。
「あの夫人はどうしたろう?」
 と部長が、あたしのことを思い出した。
「魚子夫人はアルプスの山中《さんちゅう》に締《し》め殺してあると博士の日記に出ています。さあ、これからアルプスへ急ぐのです」
 人々はゾロゾロと室を出ていった。
「待って!」
 あたしは力一杯に叫んだ。しかしその声は彼等の耳に達しなかった。ああ、馬鹿、馬鹿! 帆村探偵のお馬鹿さん! ここにあたしが繋《つな》がれているのが判らないのかい。夫は、あの井戸の蓋の穴から逃げ出したのだ。呪《のろ》いの大石塊《だいせっかい》は、彼に命中しなかったのだ。ああ今は、あたしには餓死だけが待っている。お馬鹿さんが引返して来る頃には、あたしはもう此の世のものじゃ無い。夫が死ねば、妻もまた自然に死ぬ! 夫の放言《ほうげん》が今死に臨《のぞ》んで、始めて合点《がてん》がいった。夫はいつか、こんなことの起るのを予期《よき》していたのか知れない。あたしもここで、潔《いさぎよ》く死を祝福しましょう!



底本:「海野十三全集第2巻・俘囚」三一書房
   1991(平成3)年2月28日第1版第1刷発行
入力:田浦亜矢子
校正:もりみつじゅんじ
2000年1月10日公開
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