いい捨てるようにして、局長は舷側を身軽くとび越え、甲板のうえに躍りあがった。つづいて、銃を持った貝谷が、甲板上の人となる。残りの艇員たちは、場所をさらに上にうつして、舷側越しに、両人の行動をじっと注視する。そのとき、また空が暗くなって、白い雨がどっと降ってきた。甲板を這《は》う局長と貝谷の姿が痛ましく雨にたたかれ、ぼーっと霞む。
「突進だ」古谷局長は、貝谷をうながすと、脱兎《だっと》のように駈《か》けだした。そして船橋につづく狭い昇降階段をするするとのぼった。
「やっぱり誰もいないですね」貝谷は雨に叩かれている船橋をじっとみまわした。
「局長、どうもさっきから気になっているんだが、妙なものがありますぜ。あれをごらんなさい」貝谷は、船橋のうえを気味わるそうに指した。
「雨に洗われて、うすくしか見えませんが、血の固まりを叩きつけたようなものが、点々としているのではないですか」
「そうです。もしここが陸上なら、いやジャングルなら、猛獣の足跡とでもいうところでしょうな」
「ふん、冗談じゃないよ。ここは海の上じゃないか」
といったが、古谷局長も貝谷の指した妙な血の斑点《はんてん》がなんであるか、解くことができなかった。そのうちに、予定の十分間はいつの間にか経ってしまった。
「局長、舷側のところで、みんなが局長の信号を待っていますぜ」
「ああ、そうか。じゃあ、いよいよ船内を探してみることにしよう」
そういって局長は、待っている一同の方へ手をあげて、懸《かか》れの合図をおくった。待っていましたとばかり、一同はどやどやと甲板上に躍りあがった。
「おい貝谷。船室の方へいってみよう」二人は船室の方へ下りていったが、どの室の扉も壊れたり、または開いていて、室内はたとえようもなく乱れている。
「一体ここの船客たちは、どうしたんだろうね」
「幽霊に喰い殺されちまったんですよ」
「そうかなあ、それにしてはあまりに惨状がひどすぎるよ。ふん、ひょっとすると、この汽船の中に、恐ろしい流行病がはやりだして、全員みんなそれに斃《たお》れてしまったのではないかな」
「えっ、流行病ですって」貝谷の顔色はさっと変った。
「そうだ、そうかもしれない。たとえば、ペストとか、或いはまた、まだ人間が知らないような細菌がこの船内にとびこんでさ、薬もなにも役に立たないから、皆死んでしまったというのはどうだ」
「しかし局長、人骨だけ残っていて、満足な人体が残っていないのはどういうわけですかな」
そういっているうちに、二人は船橋へ通ずる階段のところへ出た。そのとき下の船艙《せんそう》から、なにかことんと物音がしたのを、二人は同時に聞きとがめた。その妙な物音は、ずっと下の船艙からきこえる。二人はその物音を追ってついに二番船艙の底まではいりこんだ。あたりは電灯も消えて真暗であった。が、どこからともなく吹いてくる血なまぐさい風!
「あっ、あんなところに、なにかキラキラ光っているものがある!」
と、貝谷が局長の腕をぐっと引寄せた。
解けた怪異《かいい》
幽霊船の中に潜んでいた謎は、一体なんであったろうか。船艙のくらがりの中から聞えるごとごとという怪音、それにつづいてキラキラと光った物!
銃をもった貝谷は、隊長古谷局長の腕をとらえ、
「局長、あれをごらんなさい。光る物は二つならんでいます。あれは動物の眼ですよ」
「どこだい。よく見えないが……」
といっているとき、うおーっという呻《うな》りごえ。
「局長、一発撃たせてください。そうしないと、こっちがやられてしまいます」
「じゃあ、……」
局長の言葉半ばにして、だーんと銃声がひびいた。貝谷がとうとう狙いをさだめて撃ったのである。闇の中に、たしかに手応《てごた》えがあった。それっきり呻《うな》り声はしなくなった。
「どうしたんだろうなあ、貝谷」
「局長。うまく仕とめたんです。そばへいってみましょう」
局長と貝谷とは残りすくない貴重なマッチをすって、そばに近づいた。そこには大きな愕きが、二人を待っていた。
「あっ、豹《ひょう》だ! 黒豹が死んでいる!」
船艙の隅に、小牛ほどもあろうという大きな黒豹が、見事に額を撃ちぬかれて、ぐたりと長くのびていた。
「ああ、もうすこしで、こいつに喰われてしまうところだった」
「貝谷。お前の腕前には、感心したよ。いや、感心したばかりではない。危いところで生命を助けてもらったことを感謝するぞ。だが――」
と、いって、局長は大きな呼吸をして、
「おい貝谷。これで幽霊船の秘密が解けたではないか」
「えっ、幽霊船の秘密だといいますと……」
「ほら、甲板だの船橋《ブリッジ》だのに、人骨がちらばっていたことさ。つまりこの幽霊船には、檻《おり》を破った猛獣が暴れていたんだ。そして船員を片っ端から喰い
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