夫も、父親治明博士も、母親も、話すことが山のようにあった。そして時刻の移っていくのが分らなかった。
電話がかかってきたので、母親は立っていった。そのとき柱時計が午前一時をうった。受話器をはずして返事をすると、電話をかけて来たのは三木健《みきけん》であった。
「もしもし。こっちは三木ですが、もしやそちらに、隆夫君が帰っていませんかしら」
「えッ、隆夫ですって。あのウ、少々お待ち下さいまし」
治明博士がすばしこく電話の内容を感づいて立って来たので、母親ははっきりした返事をしないで、相手に待ってもらった。替って、治明博士が電話口に出た。
「隆夫は、こっちに来て居ません。だいぶん以前から、どこかへ行ってしまって、うちには寄りつかんそうです。どうかしましたか」
と、知らない風を装《よそお》った。これは意地悪《いじわる》ではなく、当分そうしておくのが、双方のためになると思ったからだ。
三木健の、おどおどした声が、受話器の奥からひびいて来た。
「ぼくは、ほんとに困り切っているのです。とにかく隆夫君はずっとうちに泊っているのです。しかし今夜にかぎって、まだ戻って来ないので心配しているのです。もしや、そちらへ帰ったのではないかと思ったものですから、お電話したんです」
「なんだか事情はよくのみこめませんが、君のご心労《しんろう》は深く察します。名津子さんは、どうですか。おたっしゃですか」
「そのことも、ちょっと心配なんです。今夜姉は卒倒《そっとう》しましてね、ぼくたちおどろきました。それから姉は、昏々《こんこん》と睡りつづけているのです。お医者さんも呼びましたが、手当をしても覚醒《かくせい》しないのです。昼間は、たいへん元気でしたがね」
それを聞くと、治明博士はどきりとした。
「卒倒されたというんですか。それは今夜の幾時ごろでしたか」
「姉が卒倒した時刻は、そうですね、たしか八時半ごろでした」
「今夜の八時半ごろ。なるほど」
「どうかしましたか」
「いや、どうもしません。とにかくそのまま静かに寝かしておいておあげになるがいいでしょう。四五日たてば、きっとよくなられるでしょう。多分、今までよりも、もっと元気におなりでしょう」
電話を切って、茶の間へ戻っていく博士は、
「八時半か。あの時刻にぴったり合うぞ」
と、ひとりごとをくりかえした。午後八時半といえば、隆夫がレザールの前
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