あるものかと、憤慨した。だって室内の調度がちゃんと映っているのですよ。椅子も、卓子《テーブル》も、それから卓子の上の洋酒の盆も。いやまだある。そこに並んでいる男と女の姿もちゃんと映っていましたよ、そんな莫迦気たことがあるものですか、と反対した。
「それだから、先刻から云っているのだ。トリックの道具立がちゃんとその部屋に出来ていたのだ。鏡に映っていると思ったのは、実は大きな硝子板の向うに、もう一つ同じ形に作った部屋が見えていたのだ。同じ配列で、裏向きにしておけばよかったのだ。人間だってそうだ。こっちと向うとに二人ずつの男女が居て、鏡にうつっているように見せかけたのだよ。いや向うの部屋には、もう一人男がいた。そいつは先にも云ったが、お前と同じ扮装をしていたのだ。何しろお前は気がおかしかったから、別人の男女をさえ、同じ顔をしているように感ちがいしたのだ。そんな場合には、常人を欺《あざむ》くことさえ容易だろう。さあそこで考えなければならんのは、なぜ二重の部屋を作り、こっちと向うの空間とを同一の空間と思わせたのだろう。その答は至極簡単明瞭である。お前の偽の姿をした男が、お前にその後の動作を暗示したのだ。つまりお前にピストルで狙わせ、そしてうしろにいる女を射撃させたのだ。どーンと放ったのは、恐らく空砲だったろう、女はかねて手筈《てはず》を決めてあったとおりに、その場にぶったおれる。そして芝居もどきに、卵の殻かなんかにつめてあった紅がらを流して、ピストルに射たれて死んだ様子を想わせたのだ」
 ――ああ、それでは、なぜ彼は私に、そんなことをさせたんだろう、と乃公は思わず叫んでしまった。
「それは判っている。それは第二の夢の場面にお前をひっぱり出し、そして友人の妻君というのを本当に殺させたかったのだ。精神薄弱者たるお前に、再度おなじ夢を見たと思わせ、前回のとおりの射撃をやらせたのだ。そのときお前がとりだしたピストルはちゃんと実弾が入っていたのだよ。そして二度目の夢の場面には、例の硝子板の向うの部屋は使わなかった。それは向うの部屋を暗室にすることによって、硝子板を鏡と同じ作用をさせたのだ。そんなトリックはよく、博覧会などの見世物で、やってみせるトリックで、誰でも知っている。お前は心にもなく、一人の女を殺してしまったのだ」
 ――なぜ私は、その女を殺さねばならなかったのですか、と乃公は怒鳴るようにして聞きかえしたものだ。すると、
「それは調べて判った。その女を殺すべく企《たくら》んだのは、その亭主である。つまりお前の親友という男だ。その部屋もなにもかも、お前の友人が作ったのだ」
 ――いえ、それは違います。あの男は、そんな悪い人間ではありません、といってやった。
「いや、もうすっかり種はあがっているのだ。お前が弁解してやっても効果がない。お前の友人という男は憎むべき奴だ。彼は事業に失敗して大金が入用だったのだ。その妻君には莫大な保険が懸けてあった。自分の手で殺したのでは駄目だから、お前を利用して殺させようとしたのだ。妻君をあの部屋に誘いだすことも、いい加減な口実をつかってやったことらしい。妻君は案内されてあの部屋に入り、発狂しているとでもいいふらしてあったお前の姿を見させたものらしい。そしてお前に射殺されてしまったのだ。――とにかくお前がここへ来て急に頭の調子が直ってくれてよかったよ」
 乃公は聞いているうちに、あまりに巧みな話の筋に、もうちょっとでひっかかるところであった。そんな手数のかかることがあってたまるものか。判事さんの邪推だと思ったのだ。
 ――おかしいですよ予審判事さん。どうして彼は私をうまく使いこなしたのです。
「そりゃ判っているじゃないか。お前は夢というものをどう考えているか、などということについて、いつもその友人にくどくどと話をして聞かせる病があったというじゃないか。それですっかり利用されちまったのだ」
 というのだよ、君。乃公は憐れむよ、予審判事さんの苦労性をね。君は乃公のことを利用して、自分は手を下さずして君の妻君を殺させたといっているのだからね。随分失礼な人じゃないか。これがまあ幸いにも、夢の中での出来ごとなのだから忍べるが、本当の世の空間に起ったことだったら、そいつは助からない話じゃないか。
 しかし予審判事さんは、あくまで執拗なんだ、困ったね。
「お前は夢の中の話だというが、それは間違いだよ。それでも夢だと思っているのだったら、その思い違いであることを証明してやろう……」
 と云うのさ。――じゃ、どうするんです! と聞いてやったら、乃公のことを鏡の前へ連れていってね、
「どうだ、この鏡にうつっているお前の顔は、お前の夢の中の顔か、それとも現実の世におけるお前の顔か」
 と訊ねるじゃないか。見ると、乃公の顔は青白くて、弱々
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