れたらしく、提督は絶望の色をうかべた。
扉は、もう一息で破壊されるであろう。しかし川上機関大尉は、電話機を提督の手からひったくった。
「ああ、大日本帝国海軍、艦隊本部へ報告。只今、川上機関大尉と杉田二等水兵とは、英国海軍の大航空母艦飛行島を占領せり――」
ああなんという奇抜な報告だろう。飛行島から発せられたこの日本語の電話は、かならずや日本人の何人かに聞きとられたに相違ない。
その瞬間、重い扉はどーんと叩きやぶられた。大勢の士官と水兵との食いつきそうな顔が見えた。あっ、危い。次の瞬間、弾丸の雨、銃剣の垣だ!
しかし川上機関大尉は、まだ電話機を離さなかった。生死を超えた毅然たる勇姿だ。
「――大日本帝国、ばんざーい」
その声が終るが早いか、電話機は紐線《ちゅうせん》もろともぷつりとひきちぎられた。川上が力まかせにひきちぎったのだ。彼の腕がぶーんと鳴った。
がちゃーんと烈しい音がして、提督室の天井に点いていた電灯が笠もろとも、粉々に壊れ散った。川上機関大尉が、電話機をなげつけたのだ。狙はあやまたなかった。室内は一瞬にして真暗になった。
「カワカミを逃がすな。撃て!」
逆上したか、スミス中尉が叫んだ。
銃声がつづいた。暗中に、銃口から吐きだされる錆色の焔。
うわーっと、奥の方でうめいた者がある。そして床の上に転がったらしい物音。
川上機関大尉がやられたのか?
いや、彼は飛鳥のように身をかわして、出入口にすりよると、警備隊と入れかわって、さっと外にとびだした。
甲板は冷たい雨と風とにたたかれていた。しかし夜明が近くなったとみえ、空がぼんやり白んでいた。
甲板を昇降口の方へ一散に走りながら、川上機関大尉は組立鉄骨の間に残してきた杉田二等水兵のことを心配した。もう夜が明けるとすると、早く彼をどこか別のところへ隠さなければならない。あのままでは、きっと見つかってしまうであろうと思った。
太い鋼索をたよりに、昇降階段をすべるように駈けおりていたとき、とつぜん彼の鼻先にどーんと大きな音がして、空中に赤と青との星がばらばらと散った。花火だ。
「あっ、花火信号だ。非常警報だぞ。全戦隊に呼びかけたものらしいが、はて何ごとが起ったのかしら」
と、いぶかる折しも、下の飛行甲板から叩きつけるような爆音が起り、一台の飛行機がぶーんと滑走路を走りだした。そして飛行島を飛びだした。
「おお、飛行機の出動だ。いまごろ何事が起ったというのか」
川上機関大尉は、つぎつぎに起る不審な出来事に、小首をかしげたが、そのとき後にあたって、わーっという喊声《かんせい》が聞え、それと同時に、ぴゅーんと一発の弾丸が頭の上をかすめてすぎた。
「見つかったらしい。よし、こんなところで撃たれてはならぬ。もう一息だ」
川上機関大尉は、残りの階段を一気にかけおりた。また一台の飛行機が、爆音高く飛行甲板の上を走り去るのが聞えた。
このとき川上機関大尉の頭の中にすばらしい考えが、電光のように閃いた。
天の与《あたえ》
「そうだ。千載一遇の機会が向こうからやってきたのだ。これも神様の助であろう」
川上機関大尉は、ちょっと眼を閉じて、黙祷した。そして次の瞬間には、大尉ははや日本刀を片手にさげ、飛行甲板を匐《は》うように駈けだした。
彼の眼は、飛行機の出発点にそそがれている。そこには、微かな灯火が光っていた。下からエレベーターが飛行機をのせて上ってくる。四五台の飛行機が翼をすれすれに、ごたごたしているのが見える。大勢の整備員が、その間を入りみだれて走っている。エンジンをかけている者もあれば、別なところに設けられた爆弾庫の口から爆弾をかついで、廊下づたいに甲板へ出て、飛行機に積んでいる者もある。爆弾庫の口は、鋼鉄宮殿の一角に隠れて設けられてあり、爆弾ははるか下の艦底にある爆弾庫から、エレベーターにのって入れかわり立ちかわりするすると上ってくるのであった。
川上機関大尉が眼をつけたのは、いま飛行機に積もうとしている爆弾であった。
爆弾は、爆弾庫|口《ぐち》から水兵の手によって甲板に運ばれ、ひとまず飛行機エレベーター脇の甲板の隅に積みかさねられた。すると飛行機づきの整備兵が、その爆弾の山から一個ずつとって、飛行機の胴につりさげるのであった。川上機関大尉は、なにくわぬ顔をして、爆弾の山に近づいた。
「さあ、今だ」
彼は、大胆にも、無造作に一個の二キロ投下破甲爆弾をむずと小脇に抱えとるや、なに食わぬ顔をして、すたすたと歩きだした。
誰も、これを怪しむ者がなかったのは、天佑というべきであった。誰も忙しく立ち働いていたので、気がつかなかったのだ。
彼は悠々せまらぬ態度で、鋼鉄宮殿の中にはいった。中から一人の水兵が出合いがしらに、川上機関大尉にぶつかった
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