逃げだしたとき、二万ポンドの懸賞犯人だからと思い、すぐ追っかけたといったね」
「そうですとも。わしは……」
「ばか! 窓から逃げだしたときには、まだ懸賞の話はきめていなかったわい。これでもまだ白いの黒いのとほざきおるか」
「うへー」
 というわけで、途中まで本物の川上機関大尉かと思った捕物第一号も、哀《あわれ》たちまち偽物であることが露見した。
 こういう面倒な取調が、次から次へとつづいていった。たいへんな手間であった。


   恐怖の命令


 カワカミ容疑者連の取調の方は、ずっと慎重にとりはこばれていた。
 この方の鑑定委員は八名の中国人があたっていた。
 取調の箇条は五つあった。それは、いずれも日本通と自称する八名の中国人委員が、智恵をしぼって考えだしたもので、それによると、この飛行島には、川上以外に一人の日本人もいない筈だから、一人の日本人をさがし出せば、それが川上だというのであった。
 では、その日本人を探し出す五つの箇条とは、一たいどんなことであったか。――赤札の第一号のカワカミ氏は、ばかに鄭重に風呂場へみちびかれた。
 すこし面喰いながら風呂に入ると、男がきてしきりに体を洗ってくれる。このとき彼は、天井の節穴がきらきらうごくような気がした。
(人の眼?)
 と思ったが、男は、彼の足首を握って、念いりに洗うのであった。そのとき男は、しきりに彼の足の指――ことに足の拇指《おやゆび》と第二指との間の隙間をじろじろとながめていたようである。
 風呂から上って外へ出ると、ちゃんと小ざっぱりしたタオルのガウンがおいてあって、これを体にまとった。それから食堂であった。
 入口に委員がいて、彼の赤札第一号に、口をあいてはあーと大きな息をはいてみてくれという。彼がそうすると、委員は変な顔をして、第一号の口中の臭《におい》を、すんすんと嗅いでいた。
 それがすむと、食卓に坐らされた。大きな丼に、うまそうな蕎麦がいっぱい入っている。それを食べろというので、傍にあった長い箸――それは日本の箸の二倍も長いやつだった――をとりあげて、ぬるぬる逃げまわる蕎麦を食べた。
 それがすむと、これを読んでみよと、何だか日本文字を書いた紙片をもってきた。第一号はそれを見せられたとき、
「わしにはさっぱりわからぬ」
 と、あっさり断った。
 そこを出ると、また卓子を前にひかえた中国人委員がいて、
「貴様は落第だ。かえってよろしい」
 と、横柄な口をきいた。
 こうして第一号は放免されたのだった。
 第二号以下も、同じような取調がつづけられた。
 これだけの取調のなかに、五つの箇条が巧みに調べあげられたのだ。
 まず第一に、裸にしたのは、衣服についた所持品しらべのためだった。
 風呂に入れたのは、体を検査するためだった。足の拇指と第二指との間の隙をみた。日本人だと、幼いときに下駄を履いたので、ここのところが鼻緒のため丸く透いている。それから膝頭が曲っているのは、幼いとき畳に坐ったため。風呂に入って顔の洗い方も、日本人はタオルを動かすけれど、中国人はタオルよりも顔の方を動かす。
 次は食堂であるが、はあーと息をはかせたのは、日本人と中国人の口臭がちがうというのであった。
 食堂に入って、蕎麦を食べさせたが、中国人と日本人とでは、箸の使い方がちがう。中国人は箸の一番端を持って、掌を上向きにして蕎麦をはさむ。日本人はそうしない。
 それから最後にサイタ、サイタ、サクラガサイタと日本の片仮名を読ませる。日本人ならすらすら読むだろうという委員の考えだが、誰がそんなものを読んで日本人たることを自分でさらけだすやつがあるものか。
 中国人委員の考えだしたこの悠長な試験を、七十何名かのカワカミ連にこころみるのだから、なかなか時間がかかった。とうとうその夜も明け、その翌日までかかった。そのころはまた、第二日目のカワカミ召しつれの訴が大勢おしかけてきたので、その夥しい人間の群をみると、試験委員は脳貧血をおこしそうになった。これをいちいち丁寧にやっていたのでは、自分たちの体がたまらぬと思ったので、それから後は、どんどん手間をはぶいて簡単にやることにした。
 こうしてやっと三日目の朝までかかって、ようやく終った。取調べたカワカミの容疑者総数はみんなで百二十七名。その結果、一たいどうなったであろうか。
 リット少将は、鋼鉄の宮殿の中を、いらだたしそうに歩きまわりながら、スミス中尉の報告をまちわびている。
「一たい、いつまで調べているのか。あいつは若い癖して、いやに気が永くていかんわい。――といって、外に手腕のある奴、信用のおける奴はいないし、困ったものだ」
 そういっているところへ、スミス中尉が、眼を鰯《いわし》のように赤くして入ってきた。
「ああ少将閣下。調《しらべ》がやっと一
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