二人はだまりこんでしまった。
 帆村が、じっとみていると、トラ十は、霧の中の海を、また北にむけて舵《かじ》をとっているのであった。それは、朝日の位置からして、方角がちゃんとわかった。
 そのトラ十は、ときどき、霧の中をとおして、日の光を仰ぎつつ、胃袋のあたりを、ジャケツのうえからおさえるのであった。なにか彼は気にしていることがあるらしい。
「おい、曾呂利よ」
「へーい」
「へーい」というへんじが、トラ十の気に入った。
「お前、艫《とも》の方をむいて船がとおらないかみていてくれ。おれが、よしというまで、こっちを向いちゃならねえぞ。いいか」
「へーい。しょうちしました」
 帆村探偵は、いいつけられたとおり、艫の方を向いた。
 トラ十は、それをみるより、にわかにそわそわしだした。彼は、細長い腕を、ジャケツの中にさしこんだ。やがて手にとりだしたのは、くしゃくしゃになった青い封筒であった。
 それは、師父《しふ》ターネフからうばった、重要書類|入《いり》の袋であった。
 トラ十は、帆村の方を注意ぶかく睨《にら》んだ。
「やい、やい、やい。いいつけたとおり、艫の方へまっ直《すぐ》に向いていねえか。こっちを向いたら面《つら》を叩《たた》きわるぞ」
「へーい」
 なにをいわれても、帆村は、へーいであった。トラ十はそこでやっと安心のていで、片手をつかって青い封筒をやぶった。中には、数枚の紙切がはいっていた。トラ十は、しきりにその中をのぞきこんでいたが、
(おやッ!)という表情。
 取出した紙切を、一枚一枚あらためてみたが、それは、ことごとく白紙《はくし》であった。なんにも書いてなかった。白紙の重要書類というのがあるであろうか。
「ちえ、うまうま、きゃつのため、一ぱいくわされたか!」
 トラ十は、くやしさのあまり、つい、ことばに出していった。
「どうしました、船長さん」
 帆村は、うしろをふりかえった。
 トラ十は、封筒と白紙とを重ねて、べりべりッと破った。そして、海中へなげこもうとしたが、急に気がかわって、破ったやつを、ふたたびジャケツの下におしこんだ。そのトラ十は、帆村に、なぜこっちを向いたのかと、叱りつけはしなかった。
「うーん、あの野郎……」
 トラ十は、よほどくやしいとみえ、ひとりで獣《けもの》のようにうなっている。
 帆村は、実は、さっきから、トラ十のすることを、すっかり見
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