ネフは、捨台辞《すてぜりふ》をのこして、うしろへ下った。
「師父、ボートは、だめなの」
「うん、だめだ。われわれは、別の道をひらくしかない」
「困ったわねえ。とにかく、このままでは、汽船とともに沈んでしまうわよ。なんとかして、船をはなれなければ。あの連中は、来てくれるはずだというのに、なにをしているのでしょうね」
「たしか、もうそのへんに、来ているはずなんだがねえ。仕方がない。マストのうえへよじのぼって、懐中電灯で信号をしてみよう。ニーナ、おいで」
師父とその美しい姪とは、傾斜した甲板を走りだした。
仮面《かめん》の師父《しふ》
師父ターネフは、水夫長のような身軽さをもって、マストの縄梯子《なわばしご》をよじのぼっていった。
ニーナは、その下に立って、警戒の役目をつとめているようすだ。
師父は、縄梯子をどんどんのぼっていった。そのころ、船艙から出た火は、もう甲板のうえまで、燃えうつって、赤い炎があたりをあかあかと照らしだした。
師父は、縄梯子を途中までのぼると、懐中電灯をとりだして、ぽっと明りをつけた。そして信号をしようと、手にもちなおしたとき、彼は、
「あッ!」
と、叫んだ。それは、懐中電灯をもった彼の手を、上の方から何者かが、ぐっとつかんだからである。
「あッ、何者だ。なにをする。手をはなせ」
と、師父は、英語で叫んだ。そのとき師父は、マストのうえから、下をむいて笑っている怪しい東洋人の顔を眺めて見た。それはトラ十だった。
「あははは。ターネフ極東首領《きょくとうしゅりょう》こんなところで、怪しげなる信号をしては困りますねえ」
と、トラ十は、流暢《りゅうちょう》な英語で、やりかえして、歯をむきだしてげらげらと笑った。
ターネフ首領!
師父は、ぎょっとしたようすだ。
「なにをいう。首領だなどと、でたらめをいうな。わしは神に仕える身だ」
「神につかえる身だって。へへん、笑わせやがる。神につかえる身でいながら、さっきはなんだって、おれを爆死させようとしたのかい」
「なにをいいますか。あなたは気が変になっている」
「気が変なのはお前たちの方だ。知っているぞ。花籠《はなかご》の中に、おそろしい爆薬をしかけて、おれの前へおいたじゃないか。あの停電のときだよ。ぷーんと、いい匂いのするやつがおれの前へ持って来やがったから、多分それは若い女にちがいな
前へ
次へ
全109ページ中34ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング