わぎとなった。
 ふとんをしく、くすりびんをのせた盆をならべる、手拭《てぬぐい》をしぼる。楽屋が、舞台みたいになってしまった。そして房枝は、そこに病人らしく横になった。
「房ちゃん、すまないわねえ」
 スミ枝が、枕もとへきて、小さいこえで気の毒がった。
「いいのよオ、心配しなくっても」
 房枝は、スミ枝をなぐさめた。房枝としても、道子夫人に、道子夫人が何者であるかは、まだ知らないが、あいたかったのであった。夫人に、めいわくをかけるのをおそれて、面会をことわってもらったのである。だから、スミ枝の行きすぎのためとはいえ、こうして、夫人にあえることになって、うれしくないことはない。
「まあ、あなた」
 道子夫人は、こえをうるませて、房枝の枕もとにきた。
「房枝さん、おくるしいのですか。どこがおわるいのです」
 房枝は、道子夫人に見つめられて、まぶしくてならなかった。
「いいえ、たいしたことはございませんの。それよりも奥様、りっぱなお花環《はなわ》をいただきましておそれ入りました」
「なんの、あれほどのことを、ごあいさつでかえっておそれ入りますわ。でも、もうお目にかかれないかと思って悲しんでおりましたのに、昨日、ちょうどこの曲馬団の前を通りかかりまして、房枝さんのお姿をちらりと見たものでございますから、そのときは、とび立つように、うれしくておなつかしくて」
 と、道子夫人は、そっとハンケチを目にあてた。
 楽屋のかげから、これをすき見している団員たちは、だまっていなかった。
「おいおい、第一場は、いきなりお涙ちょうだいとおいでなすったね」
「だまっていろ。お二人さま、どっちもしんけんだ。こうやってみていると、あれは、まるで親子がめぐり会った場面みたいだな」
「ほう、そういえば、房枝とあの奥様とは、どこか似ているじゃないか。似ているどころじゃない、そっくり瓜《うり》二つだよ」
「まさかね。お前のいうことは、大げさでいけないよ」
 二人の話は、なかなかつきなかった。
 房枝は、道子夫人に、あずかっていた草履《ぞうり》の片っ方をかえした。夫人は、たいへん恐縮《きょうしゅく》していたが、結局よろこんで、それをもらいうけた。そしてその代りにと、夫人は風呂敷のなかから、寄せぎれ細工の手箱をとりだし、
(これは手製ですが、房枝さんの身のまわりのものでもいれてください)
 という意味のこと
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