く資材となって、アカグマ国のために、日夜労働を強《し》いられているというわけだった。
 実は、今日は、イネ国滅亡の三十周年に当るのであった。滅亡の日の当時の生残《せいざん》イネ人の間に、その後生れ出でた子供たちは、大きいところでは、もう三十一歳になっている。しかし彼等は、イネ人の魂を全然失って、今はすっかりアカグマ国の労働奴隷の生活に甘んじているのであった。
 イネ国滅亡の日に、魂ある男子はもちろん、女子も共に祖国に殉《じゅん》じた。魂のない生残り者として生れた子等は、ついに永遠に、魂を持つ機会を与えられないのであろうか。


   大総督と女大使

 このイネ州の首都オハン市は、深い湾の奥にある人口五百万の都市だった。
 その湾から、太青洋を通ずるには、天嶮《てんけん》ともいうべき狭い二本の水道を経《へ》るのであった。東に向った水道を、紅《べに》水道といい、南に向った水道を黄水道という。
 今日、祝勝日にあてられたイネ州大総督のベル・ハウスからは、この二つの水道が、手にとるように見え、天気のいい日には、太青洋の青々とした海面さえ、はっきり望まれるのであった。
 ベル・ハウスは、人工で出来た大きな丘のうえに立った古城のような高層建築であった。
 その宏大《こうだい》な広間や、屋上や、廊下や、そしてバルコニーまでが、今日は生花とセルロイド紙とをもって、うつくしく飾られていた。そしてけばけばしく着飾ったアカグマ人がこれから始まるさまざまの余興の噂をしたり、間もなく開かれる大饗宴《だいきょうえん》の献立について語りあったり、ここばかりはまるで天国のような豪華さであった。
 祝典を、とどこおりなく終えたアカグマ最高行政官の大総督スターベア公爵は、幕僚委員と、招待しておいた各国使臣とに取り囲まれて、子供のように、はしゃいでいた。
 大総督は、あか茶けた太い髭《ひげ》を、左右にひねりのばしながら、
「いやあ、愉快このうえなしじゃ。このイネ州の統治も三十周年をむかえてごらんのとおり、まず完成の域に達した。わがアカグマ国は、従来は、寒い山岳地帯に、吹雪《ふぶき》と厚氷とを友として、小さくなっていたが、今や千二百キロに及ぶ暖かい海岸線を領し、それにつづく数百万平方キロの大洋を擁して歴史的な豪華な発展をとげた。われわれは、この新しき国の富に足をおき、更に国運の一大発展を期するものである。さあ、諸君、それを祝って、どうか祝杯をあげていただきたい!」
 そういって、スターベア大総督は、大きな水晶の杯を高くあげた。
「アカグマ国、万歳!」
「スターベア大総督、万歳!」
 喝采《かっさい》の声と音とは、大広間を、地震のようにゆすぶった。
 大総督は、満悦のていであった。
 彼は、常に似ず、誰彼の区別なく、しきりに愛嬌《あいきょう》をふりまいて、にこにこしていた。
 そのとき、大総督の前に、黒い金の網でつくった手袋をはめたしなやかな手が、つとのばされた。
「やあ、これはゴールド大使閣下」
 と、大総督は、大きなパンのような顔を一段とゆるめて、その黒い手袋の手を握った。
 ゴールド大使!
 それは、この太青洋を距《へだ》てて、東岸に大本国を有するキンギン連邦政府の女大使、ゴールド女史であった。
 ゴールド女史は、年齢わずかに二十九歳という若さでもって、キンギン国にとっては、最も深い意義を持つこのアカグマ国イネ州|駐剳《ちゅうさつ》の特命全権大使として、首都オハン市にとどまっているのであった。
「ああ大総督閣下。今日の御招待を、心から、感謝します。そしてアカグマ国の大発展、とりわけこのイネ州の統治三十周年をお祝いいたします」
「いやあ、ありがとう。キンギン国の使臣から、そういっていただくのは、このうえもない喜びです。つつしんで、貴国の大統領閣下へよろしく仰有《おっしゃ》ってください」
 大使ゴールド女史は、スターベア大総督の挨拶《あいさつ》には、無関心である如く、
「さっきのお言葉のうちに、わがキンギン連邦の人民として、黙っていることができないものがございましたが、大総督閣下には、すでにお気付きでいらっしゃいましょうね」
 と、意外にも強硬な語気でもって、スターベアを突いた。
「えっ、なんですって。このわしが、善隣キンギン連邦の神経を刺戟《しげき》するようなことをいったと、仰有るのですか。その御推察はとんでもないことです」
「そうとばかりは、聞きのがせません。もし閣下が、妾《わたし》の位置においでだったら、やはり、同じ抗議を発しないでいられますまいと存じます」
「ほう、そうですか。そんなに大使閣下を刺戟する暴言をはいたとは、思いませんが……はてどんなことでしたかな」
 大総督は、本当にそれに気がつかないのか、それとも、わざと白《しら》ばくれているのか、どっちで
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