がして、掬つて飮んで見たくなる。白い泡と眞黒な海水との間には、兩方の混じつた非常に青い海水が漂つてゐる。
 うねりが相當大きくなる。その間に飛魚が何尾も群をなしてすつすつと飛ぶ。飛魚は船が近付いたので、びつくりして、波間から飛立つのである。翅を擴げて、見事な滑空をして、十メートルも二十メートルも飛ぶ。飛魚の體は銀色に光つてまるで砥ぎ澄ましたナイフを投付けたやうに見える。さうして長い滑空の末に眞黒なうねりの横腹にぷつりと頭を突込む。飛魚の頭が碎けたのではないかと思ふほど痛々しく感ぜられる。その時に僅な白い水煙が立つ。飛魚は大きいのもあるし又非常に小さいのもある。大きな飛魚は、滑空距離も長く、五十メートルも百メートルも、翅を休めないで飛んで行く。飛魚が船の舳先から、横から、ぴよんぴよんと幾つも幾つも飛出す景色はまことに愛らしく又滑稽である。飛魚の飛んでをる海は長い航海者には一つの樂しい觀ものである。
 かうして海を段々南の方に行くにしたがつて、どこからともなく白い鴎が飛んで來たり、或は又燕尾服を着たやうな恰好の燕の大群と一緒になつたりする。
 黒潮を越えてしまふと海は急に色が淡くなる。その色は非常に鮮かな青い色である。南洋附近に來ると海水の色はさらに鮮かさを増す。本當の青といふ色は日本には餘り見當らない色のやうに思ふ。一般に日本人が青いといへば何となく松の緑のやうなくすんだ色を思出すのであるが、こゝに言ふ青い色とはそんなものではない、さういふ海の色を見て、成程天地の間にはかういふ美しい青い色があつたかと、青といふ色彩を改めて感じ直すのだ。この美しい青色はどんな色かといふことをとても簡單に説明することは甚だむつかしい。あまりいい説明ではないが、青いゼリーのお菓子を思出して戴ければ、割合にあの南の海の色に近いと思ふ。實際餘り美しいので私たちは暑い太陽の下に冷いゼリーを思出してゐた。
 南洋方面には珊瑚礁が非常に多い。珊瑚礁の上に乘つてゐる海水はさらに鮮明度を増す。内地へ持つて歸つて子供に見せてやりたいやうな美しい色だ。或るものは緑青を薄く溶かしたやうな色をしてゐる。海面に出てゐる珊瑚礁に大きな波が押寄せて來て白く碎けるが、その波頭の眞下に世界中で一番美しい青い海水を見ることが出來る。珊瑚礁は防波堤のやうに島のはるか沖合を取卷いてをるが、さういふところに緑青を溶いたやうな青い海の色が熱帶の太陽を浴びて、その上に白い波頭が幅廣く縁取つてをるのは實に美觀である。かういふ緑青を溶かしたやうな青い海は南洋から始まり赤道を越え、さらに南下してビスマルク諸島、ソロモン群島、ニューギニヤの方面までずつと續いてゐるのである。
 私はニューブリテン島のラバウル港で、海の中に安全剃刀の刄を落してしばしば樂んだ。舷に立つて安全剃刀の刄をぽとんと海に落すのである、さうするとその安全剃刀の刄は白く光つて海面に落ちてからそのまゝ靜かに海中へ沈んでいく、それが何時までもいつまでもきらきらと銀色に光つて見えてゐるのだ。ラバウル附近は相當水深があるのであるが、安全剃刀の刄はなかなか底に達しない、私は時計を出して時間を計つたことがあつたけれども、安全剃刀の刄が見えなくなるまでとても時計を見てゐるのが退屈になつたほどである。
 しかし南太平洋に於て、海岸から入江になつて、奧の方へ河が續いてゐるやうなところでは、海の色はかなり濁つてをる。あちらの方の河は美しい清らかな海とは違つて泥水であつた。その河も非常に緩かな河であるが、それが泥水を浮べて入江から海岸の近くを褐色に濁らしてをる。さういふところには魚の子共が非常に夥しい大群を成して集つてをる。魚の黒い背がさういふところの海の色をさらに黒くする。
 船の上からは今申したやうな透明な海水を通じて海底の模樣がよくわかつた。珊瑚礁が下の方から黒い影をして[#「影をして」はママ]盛り上つてをるところもよく見えたし、もつと淺くなると海の底が太陽の光で白く光つて見え、そこに菊目石のやうな白珊瑚の固りや、枝を成した白珊瑚などがまるで林のやうに美しく海底に咲亂れてをるのがよく見えた。またその珊瑚礁の間には眞黒な海鼠がくつ附いてゐたり、海膽《うに》のやうなものがへばり附いてゐたり、又大きな五本の指を伸したひとでが赤い腹を見せて這つてゐたりする。それから魚が泳いでゐるのも見えた。こゝいらの魚は非常に色彩が鮮かで毒々しい色をしてをる。赤い魚、青い魚、紫の魚、縞のある魚、内地ではとても見られないやうな熱帶の魚族が珊瑚の間を縫つてをるのを見て、龍宮とはかういふところぢやないかと思つた。
 しかしかういふ美しい海もスコールが起きて來るといふとまつたく體の色を變へてしまふ。スコールに叩かれる海面はその大粒の雨によつて眞白になる、しかし舷から波立つ海面を見れ
前へ 次へ
全8ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング