私たちは舟の上にゐるのだか波の中に漂つてゐるのだかわからないほどであつた。
 舟は前後に激しくピッチングをやり又左右にひどくローリングをやり、今にも波の中に舳先を突込みさうであり、また舷を海水が乘り越えてきて、今にも沈みさうに思はれた。この時に例の船醉のとくに激しい仲間が、運惡くとでもいはうか、この舟艇に私と同じく乘り合してゐた。しかしこの大荒れにも拘らず、彼等は一時間半の大搖れにも、遂に船醉を感じないで、目的地に着いた。さうして元氣に飛上つて、特別陸戰隊と共に駈足で前進を始めたのには、私の方が驚いたほどであつた。
 これによつて見るも、船醉は精神の持ちやうによつて起つたり起らなかつたりするものだといふことがはつきりわかつたと思ふ。譬へ話にあるが、驅逐艦の水兵さんが、どんなに艦がかぶつても船醉しないのに、たまたま上陸して自分の郷里なぞに歸ると、ちよつとした渡し船に乘つて船醉を感じ、氣持が惡くなつたなぞといふ不思議な話があるが、これも今申した精神問題だと思ふ。
     海の色
 内地を出て南太平洋まで行くあひだに海の色はさまざまに變る。海の色がところどころによつて違ふといふ話はこれ迄に度々聽いたことがあるけれども、實際行つて見てかうも違ふものかと驚いた。我々が内地にゐたとき海の色といへば、あの藍を溶かしたやうな、そして幾分くすんだやうな色を考へるけれども、南の方に行くにしたがつて海の色は非常に鮮かに變つて來る。日本近海において見る海の色は何だか重苦しい感じがするのに對して、南の方の海の色は非常に明るい感じがする。
 先づ内地を出てくすんだ藍色の海を一日半ほど行くといふと、海の色はさらに黒ずんだ色に變る。これは所謂黒潮に打突つた證據である。黒潮の色はその名の通り全く黒つぽい。この色をもう少し詳しく言ふと、藤紫を非常に濃くしたやうな色である。この海が夕方暮れてゆくとさらに黒さを増し、まるでアンチモニーを融かしたやうな、金屬的などつしりした色に變る。さういふ見慣れない海を見てゐると内地を遠く離れたことをはつきり感ずる。黒潮の通つてゐるあたりはまだ相當波が荒く、海は何だか生きもののやうに見える。
 船の舳先に掻分けられた波は船尾の方まで白い泡となつて湧き立ち、はるか後方まで白い航跡を引く。この白い泡は非常に美しくて、よくいはれる譬だが、シャンパンの杯に湧き立つ泡のやうな感じ
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